■議論の整理
自閉症は社会性の欠如という特徴を持っている。他者への想像力が欠如していたり、思いやりをもった発言ができなかったりする。その一方で、執拗にある一つのことにこだわりを見せたり、延々と同じ作業を繰り返すことができたりする。これらの事態を脳の一つの機能障害とみなして、脳科学的に分析する方向が現在盛んにおこなわれている。
■問題発見
一方で、対処法として応用行動分析的手法がとられてきた、ある状況において奇声をあげる生徒がいたとする。その事象を引き起こしている先行刺激があり、その刺激を受けて奇声を上げ、後続刺激として大人たちのサポートがある。つまりこのとき自閉症の主体は、自分が困ったことがあり、そのときに奇声を上げれば、大人たちが駆けつけて助けてくれることを知っているから奇声をあげるのだ。分析家たちは、この事実を捉えると、すぐさま、では先行刺激の困り感を事前に主体が対応できるような状況を作り出そうとする。たとえば、困らないように、写真を見せたり、これから起こることを図にしたりする。そうすれば事態は解決だ。しかし、そもそもなぜ彼は奇声をあげるのか。
■論証
従来の社会学的な手法としての分析や処方は、奇声を上げたこの主体をどうやって社会と折り合いをつけるのかに対して有効な手段を提供してきたことは事実だが、なぜ主体が奇声をあげてしまうのか、という根源的な問いに対して十分な説明があったとはいえない。わたしたちは自閉症という病を脳科学の知見だけでなく、その社会と人間のつながりの根源を考える学問、精神分析に立ち返って考える必要があるだろう。
■結論
精神分析には隠喩と換喩という基本理念がある。換喩は言葉を言葉との関係において考えることだ。東は西の反対で、女は男の反対であるように、言語はつねに言語との差異の中で培われる体系であり、様々な分節化を経て、使用することができるようになっている。しかし、言語を使用できるようになるには、その言葉=シニフィアンがどのシニフィエと結びつくかと言う結節点を持たねばならず、それがないままでは、現実と言葉が遊離してしまうことになる。これは何のたとえか、という考えを持つことができなければ、言葉は世界に固定しない※1。
■結論の吟味
精神分析では、換喩と同時に、隠喩の機能を持つことが人間が象徴界=社会に参入することの条件だと考える。ということは、自閉症の主体が、言葉あそびが得意でありながら、他者の言葉を理解できないのは、隠喩の機能、どの言葉がどの場面や状況につながっているかに関する構想力の欠如だと考えることができる。このよに、自閉症の分野において、社会学的な処方だけでなく、根源への問いへの知見を持つ、精神分析の手法を用いて考えて行くことはこれからの発達障害への理解を深めるうえで大変有意義であると思われる。上記のようなことを考察したいと考え、貴学への入学を希望する。
※1竹中均「精神分析・社会学・自閉症――「隠喩」の問題を中心に――」『社会学評論』61(4)2011
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