上智大学 文学部 哲学科 公募制推薦入試 2018年 小論文 解答例

設問

次の文章は、18世紀のドイツの哲学者、イマヌエル・カントの『理論では正しいかもしれないが実践の役には立たないという俗言について』という著作の中で、カントが国家について論じた一節である。この直前で、カントは法治国家の原理として、国民の自由、平等、独立の三つを挙げ、ここでは特に自由について論じている。この文章で表明されている思想について、あなたの考えを自由に述べなさい。(600~800文字)

議論の整理→課題文の整理と定義

カントは法治国家の原理として、父親が子どもに接するように、国民に判断を任せずコントロールをする政府のことをパターナリスティクな政府と呼び「およそ考えられるかぎり最大の専制である」と批判している。これは国民が常に国家元首の判断を期待し、その判断に従い、主体性を失ってしまうことに対する警鐘と考えることができる。

問題発見→現代社会は「自由」か?

たしかに国家が主体となり国民を従えてしまうことは専制的であり、自由の侵害と言える。一見自明のことのように思える主張だが、現代の日本社会について考えた場合どうだろうか。

論証→道徳の授業を例に、自由を論じる

日本は法治国家として国民の自由が保障されているが、近年の社会を見ているとカントが危惧した国家の専制を懸念する場面も多いと感じる。たとえば、日本の小学校では文部科学省の検定を受けた教科書を使った道徳の授業が始まった。道徳の授業では、教科書を用いて道徳的な心情や判断力などを養うことが目的とされているが、これはカントが述べる「自由」を侵害しているという点において問題だと考える。戦前の国家による道徳教育では天皇のために国民が自らを犠牲にすることが教えられた。このように、道徳の授業は国民に善悪の判断基準を教えることになり、何をなすべきで何をなすべきではないか、国民自身が考える自由を奪ってしまう。先の戦争がどのような悲惨な結果を招いたのかは言及するまでもないだろう。

解決策or結論→道徳教育は自由を制限する可能性がある

個人が自立して「自由」に思考し行動できることは、非常に重要なことだと感じる。道徳教育をはじめ、昨今の政府の政策は国民の「自由」を直接的・間接的に制限するものが多い。スマートフォンなどにより情報が手に入りやすくなった分、自分の意見とは異なる人間と議論をする機会も減った。

解決策or結論の吟味→結論を吟味する

このような状況下では、カントが危惧した「自由」が知らないうちに政府に奪われてしまう危険性がある。その危険を常に意識して「自由」を志すことが、今の日本では重要だと感じる。(786文字)

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