問1
議論の整理(要約)
この文章では、人間の良心の奥底にある「法の声」について記している。法の声とは、良いことを勧め、悪いことを避けるように告げる、心の声のことである。
問題発見
法の声とはいわゆる法律とは異なる。これを何と呼べばいいのだろうか。人権の根拠となりうるのだろうか。
論証
ここで説明されている法の声とは、人とのふれあいや知識により培われた常識のことである。常識の内容は個人により異なる。そのため、法の声を正しくとらえられるように、遭遇する物事や行動の善悪を問いかけることが大切である。
結論
法の声の方向性は国や文化により異なる。一方人権とは、人間が共通して持っている基本的な権利であるため、部分的には人権の根拠となる。
吟味
人権は、個人の範囲を越えて社会の制度によっても守られる。法の声を社会の声とできるのか、さらに考えてみたい。(363文字)
問2
議論の整理(要約)
人間はみな、心のなかに神により刻まれた法を持っている。人間の尊厳とは、心のなかにある法に従うことである。
問題発見
人間の尊厳について聖書はどのようにとらえているのだろうか。
論証
創世記の1章26節から、神の愛のしるしとして、人間が神の像に似せてつくられたことが示されている。キリストは十字架にはりつけられ、その後に復活している。それは、神に似せてつくられた人間はみな救いの対象となり、天国に導かれることを意味する。
結論
人間は、神の愛により神に似せてつくられているため、どのような立場であっても、神聖な存在である。それが、すべての人は共通する人間の尊厳を有している根拠となる。
吟味
教義上は、自ら命を絶つことも神の愛に背くことになる。他者と自分は、尊厳のあり方は異なるのかも考えてみたいと思った。(352文字)
問3
議論の整理(要約)
奥底に神の法が刻まれているがために、人間は良心を持つことができる。この良心は、人間の本質であり、心のなかの聖書に等しい存在である。そのため人間は常に神と共にあり、神の声に耳を傾けることができる。
問題発見
私は日常生活を送るなかで、どのような経験をしたときに良心を感じたのだろうか。
論証
私は高校生のとき両親に対して反発を感じる時期があった。いわゆる反抗期である。このとき、すべての指摘に反発を感じ、勉強をさぼる、夜遅くまで起きている、ひどい言葉を放つなど、正しい声とは真逆の行動をとってきた。とくに「素直になる」「思いやりを持つ」など、正しい声を受け入れることができかなった。
とはいえ私は、何かに背いているという葛藤や罪悪感を抱いており、心の中で正しい状況になりたいと思っていた。
結論
両親に対する反抗期を通じて、私は良心の呵責を感じ、私は良心の存在を強く意識するという経験をした。
吟味
いつでも良心に従って行動することは難しい。そのため罪悪感を抱く行為も、人間の良心のかたちとして大切なのではないか。(456文字)
コメントを残す