設問
あなたが日本語を学ぶ中で、自分の母国語との「論理」の違いについて感じたことを、テキストの内容をふまえて、600~800字で書いてください。そのさい「あ・うん」という言葉を必ず一度使用してください。
議論の整理→日本語とドイツ語の違い
私の母国語はドイツ語であるが、日本語を学ぶ際に最も苦労をしたのが「あ・うんの呼吸」と呼ばれるものだ。日本語では言葉以外にも、言外のメッセージをくみ取り、その場の状況での判断が求められる。
問題発見→日本語は「論理的ではない」のか?
日本語を学習する者にとって「場の空気を読むこと」は難しいのだが、それでは、「日本語は論理的ではない」といえるだろうか。
論証→日本語とドイツ語の「論理」の違い
私は、日本語もドイツ語も極めて「論理的」な言語だと思う。たとえば、ドイツ語は結論を先に述べた後に理由を述べ、結論が正しいことを論じていく。意見を聞かれれば賛成か反対かを述べ、その理由を三つほど挙げ、最後に結論を述べる。これがいわばドイツ語の「論理」なのだが、この「論理」を日本語に適用すると問題が生じる。日本語では、自分の意見を明確に述べることは避けられる。結論はあえて明確にせず、複数の要素を並べて相手と共同で結論を出す形式が望ましいとされている、と感じる場面が多い。これはドイツ語と比べると、全く論理的ではない。意見をぶつけることなく結論に到達することは、ドイツ語話者から比べると理解が難しい。しかし、日本語を学ぶなかでこのような「あ・うんの呼吸」も日本語の「論理」だと知った。日本語では「空気を読む」ことで相手との不要な衝突を回避し、結論に至ることが重要視されているため、このような「論理」が形成されているのではないだろうか。
解決策or結論→「論理」とは他者を理解するためのルール・形式である
つまりここでいう「論理」とは、「言語を用いて他者とコミュニケーションをする際のルール・形式」と言い換えることができると思う。その国の文化や歴史によって「論理」は当然変わってくるが、根底にあるのは「他者を理解する」姿勢であろう。
解決策or結論の吟味→結論を吟味する
初めはドイツ語と比べて、言語を使う環境やルールが違ったので戸惑うことが多かった。しかし日本語を学ぶことで、その言語が話されている社会を知ることができた。日本語の「論理」を見につけ、自分という「他者」をより誤解なく理解してもらいたいと思う。(800字)
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