■議論の整理
学校不適応や不登校の背景は、時代とともに変化してきた。1992年の学校不適応対策調査研究協力者会議の報告では、不登校は「誰にでも起こりうる問題」とされ、教室が生徒の心の居場所となることが求められた。「誰にでも」の中には、「発達障害」のある生徒も含まれる。
一方で、同年には文部省(当時)が、「発達障害」に分類される「学習障害」を教育的支援が必要な障害の一つとして取り上げ、1995年には公式な定義を提示、その後全国の小中学校に支援が広がった。木村(2006)※1は、この「発達障害」の制度化により、教育現場に新しい医療的まなざしや教育支援が導入されたと指摘する。
■問題の発見
発達障害の「医療化」は、教育的支援の充実を意味する一方で、本来居場所であるはずの教室から特別支援の場に移されるという排他的側面も併せ持つ。そして、学校において「発達障害」の傾向を疑われることは、親子にとって「逸脱」のスティグマ(烙印)となってしまう傾向がある。 それは、木村(2006)の言葉を借りれば、「学校文化に適応できていない 「不適応的な行為の医療化」 」と言えるだろう。
■論証
不登校が「誰にでも起こりえる問題」とされながら「逸脱」のイメージを払拭できない要因の一つは、不登校生徒と学校が教育的理念と医療・福祉的支援モデルの日本の柱の狭間で引き裂かれてしまっていることにある。その改善のために、この2者間のねじれを明らかにし、関係者によって共通目標を再構築する必要がある。
■結論
不登校問題の改善のために、以下の2点を放置せず、解明していくことが急務であると考える。
1 教育、医療の歴史の中で不登校の理解と対応がどのように変遷し、絡み合ってきたかを整理する。
2 葛藤やねじれを含みつつも、学校文化の中で医療的まなざしがどのように獲得されているかを検証する。
■結論の吟味
上記を通して、私も子どもたちが安心して学びを保障される学校づくりに貢献したいと考えている。
不登校問題の理解と対応の枠組みを批判的に検討しつつ、学校現場との往復の中で解決のための共通基盤づくりに尽力してきた酒井朗教授のゼミに入会し、問題の背景や視点、調査・分析のための方法論を学びたい。
※1木村祐子「医療化現象としての「発達障害」教育現場における解釈過程を中心に」 教育社会学研究 2006 年 79 巻
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