■ 議論の整理
日本の公教育において、哲学や思想史は社会科の授業で知識や教養としては扱われているが、その思考を活用して時代の潮流を読み解いたり、様々な問題解決の切り口として実践的に扱われることはない。私は父の影響で、東西の様々な思想がどのように時代を作ってきたかに関心があるが、中学校社会科、高校の倫理や政治経済の中では、その政治性や時代性がはぎとられ、具体的に扱われることはなかった。その反面、今日、生徒の時事問題への関心の低さや対話力の乏しさが指摘されるが、議論の根幹となる思想や理論を学校で学ぶことなしに、形だけの議論を生徒に求めるのは乱暴だと感じていた。
■ 問題発見
私は将来、教師となり、子どもの対話を促す授業づくりをしたいと考えている。しかし、日本の教員養成課程の教育思想史という科目で、生徒の対話力や問題解決能力に繋がる指導力を学べるのだろうか。また、小中高でそのような力を身につけてこなかった学生が、対話による授業を構想できるようになるためには、どんな学びが必要だろうか。
■ 論証
白石※1も述べているように「教育哲学は実践的指導力の対立物ではなく、その基礎になり得る」と私も考える。この言葉で暗に言い表されているように、教育哲学、教育思想史の授業は採用試験のための暗記科目の域を超えていないと思われる。しかし、各時代における思想史を概観し、その可能性と限界を分析することは、目まぐるしい変化の中で教育そのもののあり方が揺らぐ現代社会において、教員がどのようなビジョンを持つべきかを考える上で、抜かすことのできない知的作業であると考える。
■ 結論
そこで、どのような学び方が教師の実践的指導力を向上させるかを、私自身が教育思想史を学び、概観し、時代の潮流の中に位置づけながら考えたい。近年流行している哲学カフェのような方法論も取り入れながら、学生同志で切磋琢磨しながら様々な方法を探りたい。
■ 結論の吟味
教育思想史の研究家であり、かつ教育学において包括的な知として位置づけることに尽力されてきた貴学の加藤守道教授のゼミに入会し、知識の習得とともに、対話や実践を通して学ぶことを強く希望する。
白石崇人. (2016). 教員養成における教育史教育. 広島文教女子大学高等教育研究= Hiroshima Bunkyo Women’s University journal of higher education, 2, 29-48.
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