■設問
模擬講義の概要
講義のテーマ:ジャーナリズムと政治—ニュースの生産過程で働く様々な力—
講義の概要:
はじめに
権力と民主主義のとらえ方
ジャーナリズムの権力
ジャーナリズムに対する権力
日本のジャーナリズムの問題点
社会の多数派とジャーナリズム
結び
*大学1年生が受講して理解できるレベルの講義(50分)を行う。
論述形式試験の概要
論述の設問内容: この講義で説明したキーワードや概念を用いて以下の問いに回答しなさい。
日本のジャーナリズムは、「東日本大震災と福島の原子力発電事故」の被災者や避難所の様子を積極的に報じてきました。こうした報道に関しては、以下の二つの意見があります。どちらの意見に賛成かをまず記し、その理由を中心に、あなたの考えを述べなさい。
1.被災者や避難所の様子を報道することは、事実を報道するというジャーナリズムの使命、取材や報道の自由、また読者や視聴者の要求に応えるという点から見て当然だ。
2.被災者のプライバシーや感情を考えると、今回の一連の報道はなかには興味本位のものもあり、行き過ぎだと思うので、ジャーナリズムはもっと自制すべきだ。
解答の形式:A3レポート用紙形式・字数制限無し。
試験時間:45分
■答案構成
5STEPで書く
議論の整理→日本の災害時におけるジャーナリズム
問題発見→過激な報道と不必要な情報
論証→ジャーナリズムの目的は視聴率を高めることである
結論→ジャーナリズムは自制すべきである
結論の吟味→NHKなどの比較的バイアスの少ないジャーナリズムのみで良い
■答案
私は2番の意見に賛成であり、被災地などにおけるジャーナリズムは自制されるべきだと考える。
議論の整理→日本の災害時におけるジャーナリズム
まず、現在の日本の災害時におけるジャーナリズムがどうなっているか確認する。ジャーナリズムの最終的なゴールは正しい情報を民衆に伝えることである。人によって欲している情報は違うため、より多くの人が求めている情報を伝えることがジャーナリズムに必要なことである。特に災害において、多くの人は実際に被災地に行って状況を確認することは現実的ではない。したがって、ジャーナリズムが代行して、被災地の情報を大衆に伝えるのである。
問題発見→過激な報道と不必要な情報
しかし、現在の災害時におけるジャーナリズムには大きく分けて2つの問題点が挙げられる。1つ目は、メディアによる過激な報道である。2つ目は、本当に必要とされている情報を届けられていない点である。1つ目に関して、例えば、被災地では報道のヘリコプターが飛び交っていることがあるが、これは被災者の捜索をしているヘリコプターの活動を妨げていることにほかならない。また、被災地の人へのインタビューなどが積極的に行われているが、これが被災者感情に寄り添ったものであるかどうかも甚だ疑問である。ときには、ジャーナリズムのインタビューが役所に殺到したために、役所の機能が麻痺してしまったなどの事例もある。確かに多くの人が被災地の情報を知りたいと思っているのは事実である。しかし、このように被災地の人たちに悪影響を与えてまで情報を知りたいと思っている人はごく少数であると考えられる。したがって、メディアによる過激な報道は許されるべきではない。2つ目に関して、現在のジャーナリズムは被災地ではない人たちに向けに、被災地の情報を流しているという面が強い。実際に、被災地に赴くことができない人が知りたいと思っている情報なので、必要な情報であることは間違いない。しかし、本当に情報を必要としているのは、被災地にいる人達である。どこの避難所に行くべきなのか、どこに行けば食料がもらえるのかなど、被災者に役立つ情報は緊急性が高く、被災地の様子を流すだけよりよっぽど意義があると言えよう。
論証→ジャーナリズムの目的は視聴率を高めることである
このような問題がある背景として、ジャーナリズムが利益を追い求めているということが挙げられる。例えば、テレビであれば視聴率を上げることが利益につながるし、雑誌であれば消費者の手にとってもらえることが利益につながる。このような構造があるから、過激な報道もいとわないし、より多くの人が知りたいと思っている情報を報道しようとして、真に必要とされているニーズに応えようとしない。ジャーナリズムを担うのが一企業であり、プロフィットシーカーである以上は、このような構造を変えることはできない。
結論→ジャーナリズムは自制すべきである
したがって、ジャーナリズムは自制されるべきである。さもなければ、現状のような多くの問題を抱えたジャーナリズムが続くだけである。このような現状を続けることは、被災者にとって何の利益ももたらさないどころか、害しかもたらさない。
結論の吟味→NHKなどの比較的バイアスの少ないジャーナリズムのみで良い
かといって、被災の状況などを何一つ後の世代に残さないという問題が浮上してしまう。このような問題を避けるためには、より客観性が高く、必要な情報のみを正しいやり方で報道できるジャーナリズムの存在が必要である。この典型例としては、NHKなどの国営のジャーナリズムが挙げられる。国営であれば、視聴率などの利益を追求する必要がないため、真のニーズに寄り添った報道をすることができる。したがって、今後の被災状況のジャーナリズムは、NHKなどのバイアスの少ないジャーナリズムが担うべきである。
私は2番の意見に賛成であり、被災地などにおけるジャーナリズムは自制されるべきだと考える。
まず、現在の日本の災害時におけるジャーナリズムがどうなっているか確認する。ジャーナリズムの最終的なゴールは正しい情報を民衆に伝えることである。人によって欲している情報は違うため、より多くの人が求めている情報を伝えることがジャーナリズムに必要なことである。特に災害において、多くの人は実際に被災地に行って状況を確認することは現実的ではない。したがって、ジャーナリズムが代行して、被災地の情報を大衆に伝えるのである。
しかし、現在の災害時におけるジャーナリズムには大きく分けて2つの問題点が挙げられる。1つ目は、メディアによる過激な報道である。2つ目は、本当に必要とされている情報を届けられていない点である。1つ目に関して、例えば、被災地では報道のヘリコプターが飛び交っていることがあるが、これは被災者の捜索をしているヘリコプターの活動を妨げていることにほかならない。また、被災地の人へのインタビューなどが積極的に行われているが、これが被災者感情に寄り添ったものであるかどうかも甚だ疑問である。ときには、ジャーナリズムのインタビューが役所に殺到したために、役所の機能が麻痺してしまったなどの事例もある。確かに多くの人が被災地の情報を知りたいと思っているのは事実である。しかし、このように被災地の人たちに悪影響を与えてまで情報を知りたいと思っている人はごく少数であると考えられる。したがって、メディアによる過激な報道は許されるべきではない。2つ目に関して、現在のジャーナリズムは被災地ではない人たちに向けに、被災地の情報を流しているという面が強い。実際に、被災地に赴くことができない人が知りたいと思っている情報なので、必要な情報であることは間違いない。しかし、本当に情報を必要としているのは、被災地にいる人達である。どこの避難所に行くべきなのか、どこに行けば食料がもらえるのかなど、被災者に役立つ情報は緊急性が高く、被災地の様子を流すだけよりよっぽど意義があると言えよう。
このような問題がある背景として、ジャーナリズムが利益を追い求めているということが挙げられる。例えば、テレビであれば視聴率を上げることが利益につながるし、雑誌であれば消費者の手にとってもらえることが利益につながる。このような構造があるから、過激な報道もいとわないし、より多くの人が知りたいと思っている情報を報道しようとして、真に必要とされているニーズに応えようとしない。ジャーナリズムを担うのが一企業であり、プロフィットシーカーである以上は、このような構造を変えることはできない。
したがって、ジャーナリズムは自制されるべきである。さもなければ、現状のような多くの問題を抱えたジャーナリズムが続くだけである。このような現状を続けることは、被災者にとって何の利益ももたらさないどころか、害しかもたらさない。
かといって、被災の状況などを何一つ後の世代に残さないという問題が浮上してしまう。このような問題を避けるためには、より客観性が高く、必要な情報のみを正しいやり方で報道できるジャーナリズムの存在が必要である。この典型例としては、NHKなどの国営のジャーナリズムが挙げられる。国営であれば、視聴率などの利益を追求する必要がないため、真のニーズに寄り添った報道をすることができる。したがって、今後の被災状況のジャーナリズムは、NHKなどのバイアスの少ないジャーナリズムが担うべきである。
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