議論の整理・・・貴学の論文(※1)では、京都に銀が貨幣として流通した時期について述べている。ところでそれより以前に貨幣はなかったのかというと、そうではない。奈良時代より貨幣は存在した。それが、当時の渤海国との交易にも用いられていた、と考えるのは自然である。渤海国とは日本海沿岸で盛んに交易しており、単なる贈与ではなく、交換だったのである。
問題発見・・・しかし、交易手段としてどういった媒体が用いられていたのかは、未だなお不明である。
論証・・・論文※2では、朝廷と渤海国との間の交易手段について述べている。しかし、日本海沿岸の住民もまた、交易した可能性は否定できない。というよりも、していた、と考える方が自然である。その際、どのような手段を用いて交易していたのかは歴史学上検討の意義がある。
結論・・・そこで私は、渤海国と日本海沿岸の住民の間の交易の実態について研究したい。
※1中島圭一(2004)「京都における「銀貨」の成立(4.貨幣をめぐって)」
※2松好貞夫「渤海との交渉についての一考察」
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