- 議論の整理・・・
作品は作者の虚像であるとした際、その色が最も濃いのはフランス文学である。フランスでは、近代作品において早くからその作品に現代を映し出す昨日が与えられている。もちろんこれは天才と呼ばれたアルベールカミュも同様である。そういった作品は現代社会を考察重要な材料にもなる。それらの作品を考察するということは、それらが何を表現しようとしたのかを考察することと同義である。
- 問題発見・・・
では、フランス文学作品についてそれらに映し出された表象はどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、フランス文学に対する知識を前提とし、それらの文学がいかなる背景の下に描かれているのかを作家論的立ち位置も踏まえ、その作品の表現技法について考察することが重要であると考える。
たとえば、フランス文学の専門家である岡山茂教授はマラルメは「詩句の危機」のなかで、ヴェルレーヌこそ自由詩の先駆者であると言っているけれども、そのヴェルレーヌに影響を与えたのが、ランボーとともにこのヴィリエでもあったということなのである。彼らのもたらした「自然」の風は、彼ら自身はきわめて正統的な〈表象〉の詩人であったにもかかわらず、あるいはそうであるがゆえになおさら、パリの高踏派の詩人たちの保守主義を揺さぶることになったのかもしれない。ヴェルレーヌがその風にもっとも過敏に反応して、伝統から逸脱するような「詩法」を自ら育むことになった。マラルメが描く尋常ならざる「到来者」の話しぶりを見ると、どうしてヴィリエが「詩句の危機」をもたらすことになったのかが判るのではないだろうか。と発表している。[1]
- 結論・・・
そこで、フランス文学における表象について、表現技法を専門的に研究するため、フランス文学について専門的知識に富む貴学政治経済学部の岡山茂教授の下で、上述の問題点を整理するべく作品が描かれた背景について研究を深めたいと考えている。
貴学政治経済学部の岡山茂研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学政治経済学部に入学し岡山茂研究会に入会することを強く希望する。
[1]岡山茂著『〈空位時代〉の王、ヴィリエ・ド・リラダン : マラルメの描くその移動と転位について利用』(早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会2004-12-27)
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