- 議論の整理・・・
文学作品はいかなる形であれ、その作者の思考の発露として表現されている。それは、何人たりとも自身の想像が及ばない範囲において、それを表現することが不可能であることを意味している。これはドイツ文学、ナチス研究の専門家である斉藤寿雄教授がフーヘルは、雑誌『意味と形式』の編集長になってまもなく、50年代半ばから政治的いやがらせや迫害を受けはじめた。したがって、軟禁生活で頂点に達したこの政治的迫害の期間に書かれた詩が、政治的意味合いをもっていると考えるのはけっして穿ちすぎではないだろう。と述べている[1]のと同様である。
- 問題発見・・・
では、文学についてその作品に込められた政治的意味合いはどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、テクスト論、作家論の両面からアプローチした文学に対する知識を前提とし、その作者が置かれた境遇を整理することが重要であると考える。
たとえば、ドイツ文学、ナチス研究の専門家である斉藤寿雄教授はこれまで考察してきたフーヘルの詩は、自然抒情詩と政治詩の層を突きぬけて、実存をめぐる内省へと向かうことによって、生存と文学が彼にとっていかに密接に結びついているか、そしてその結びつきのなかで自身がどのように生きてゆくべきかの認識を提起している。彼が、みずからの生存を脅かす状況のなかで、あくまでも言葉を通してその状況に耐え抜こうとしたことが、彼の詩人としての生の核をなすと発表している。[1]
- 結論・・・
そこで、文学作品に込められた意図について、文学と政治との関わりを専門的に研究するため、ドイツ文学、ナチス研究について専門的知識に富む貴学政治経済学部の斉藤寿雄教授の下で、上述の問題点を整理するべく作家論、テクスト論的側面から見た文学研究について研究を深めたいと考えている。
貴学政治経済学部の斉藤寿雄研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学政治経済学部に入学し斉藤寿雄研究会に入会することを強く希望する。
[1]斉藤寿雄著 『ペーター・フーヘルの実存的世界』(早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会2008-03-25)
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