■議論の整理
マスメディアの作り出すイメージは、人々に大きな影響を与える。CMひとつをとってもそうである。例えば、生活用品のプロモーションで女性だけが家事をしているシーンを幼いころから繰り返し見続けることで、家事=女性の仕事という固定観念が形成されてしまうかもしれない。「常識」と言われるようなものは、家庭や学校での教育だけでなく、日頃目にする様々なものから形作られるのだ。だからこそ、メディアを制作する際にはその表現が人々にどのような影響を及ぼすかを考えなくてはいけない。
■問題発見
バッシングを苦にしたアイドルの自殺が相次いでいる韓国のみならず、日本でもSNSでの過剰なバッシングが問題になっている。TwitterやYahoo!ニュースのコメント欄を見ると、目も当てられないような言説がまかり通っている現状がある。一市民たる人々が好き勝手やっていることではあるが、その行動の背景には今までのメディアの報道のあり方が関係しているように邪推してしまう。
■論証
2019年7月におきた京都アニメーション放火事件では、被害者の実名を報道するかについて大きな議論が巻き起こった。遺族が公開を希望していないにも関わらず各種メディアが実名報道をしたことには、一般市民から非難の声があがった。一方で、TwitterなどのSNSでは何か事件が起きるたびに犯人探しとも思えるような「特定」が一般市民によって行われる。芸能人や政治家の不倫報道があれば連日メディアが取り上げる。同じように、SNSでも著名人のプライベートの些細なことについて揚げ足を取る人々がいる。
■結論
言論の自由はもちろん重要だが、他者の権利を侵害している現在の一般市民の言論には疑問を感じる。メディアの報道姿勢が人々の言論にどのような影響を与えてきたのかを分析し、どうすればより良い公共の言論空間が形成されるのかを考えていきたい。
■結論の吟味
以上の研究を遂行するため、早稲田大学教育学部社会科公共市民学専修に入学し、伊藤守教授の下で学びたい。
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