早稲田大学 教育学部 外国学生入試 志望理由書 提出例(丸川誠司ゼミ向け)

■議論の整理

文化とは何か。そして教育とは何か。T.W.アドルノは「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」と述べた有名な思想家だが、彼は文学や文化についての啓蒙思想家であると同時に、「アウシュヴィッツ以後の教育」という講演録も残している。このアウシュヴィッツ以後という区分けは現在でも有効だし、むしろいまこそアウシュヴィッツ以後の性格が強まっているとも考えられる現代において、アウシュヴィッツ以後の教育はどうあるべきだろうか。

 

■問題発見

アウシュヴィッツ以後とは、ユダヤ人大虐殺のことを念頭に置いた表現だ。戦争によって、ナショナルな共同体が、合意の上である特定の人種を未曽有に殺戮した。アドルノはこれをアウシュヴィッツ以後と述べるわけだが、特定の人種がどの人種になるかは分からず、どの人種も殺戮の対象になりうることを含み持たせたこの言葉は、現代の一部の過激派のテロ活動にも似て、グローバリゼーションの裏側で進行する問題と軌を一にしている。

 

■論証

アウシュヴィッツ以後の教育にできることは、理性の普遍性を信じることだとアドルノは述べている※1。理性の普遍性とは、カントの自律性にも近い概念で、アプリオリに人間に備わっているような能力だ。しかし一方でアドルノは、フロイト流の文化観も持ち合わせているため、楽観的な様相では決してない。文化は、常に自己を否定する要素を持ち合わせており、それが文化を促進し、殺したりもする。つまり人間の理性には、非理性的な部分を同時に併せ持つ、非啓蒙的な要素でもあるのだ。

 

■結論

ということは、理性の普遍性とは、在ってないようなものになってしまうかもしれない。しかしそれでも、理性の普遍性を信じようとすることをあきらめないでいくにはどうするべきか。そこを考えて行くことがアウシュヴィッツ以後の教育であるだろう。

 

■結論の吟味

簡単な結論は出ないが、ポスト・トゥルースの時代と呼ばれ、ヘイトスピーチがかまびすしい現在において、このアウシュビッツ以後の野蛮さを払しょくする理性の普遍性を再構築し、教育していくことは急務だ。戦後というタームで教育と世界情勢の幸福な交わりを考察してみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1丸川誠司「アドルノの「アウシュヴィッツ以後の教育」を巡って」『早稲田教育評論』29 2015

 

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