議論の整理・・・
アジアの近代はそれぞれの国の歴史というよりは、西欧諸国によってもたらされた影響への反応という形になっている。日本においてはペリー来航から始まる開国がそれにあたる。そのため、ヨーロッパにおいては長い期間をかけて進行した近代化への移行が、アジアにおいては短期間で急速に啓蒙化がはかられた。19世紀に西欧諸国によってもたらされた大きな変化は、現在においても政治・法律・経済・教育・芸術など様々な観点で方向性を形作っていることがわかる。よって、現代アジア社会の成立について理解するためには、近世から近代へ移るタイミングでのイベントや、前後の変化に注目するのが有用である。当時アジア各国が西欧諸国の異文化を受容する過程でのアイデンティティやエスティニシティの形成が構成され、新しい文化を受け入れる一方で守るべき伝統の選別がなされた。
問題発見・・・
国際外交の始まったばかりの近代においては、特にアジア側の他国言語の翻訳精度は高くなかったことが予想される。その際コミュニケーションギャップによって外交に生じた問題にはどのようなものがあり、時代とともにどのように解消されていったのだろうか。
論証・・・
多言語で記載されている外交文書について言語間の差異を明らかにすることで、相互の認識の違いが明らかになる。国家間の外交が始まったばかりの頃は国家間の考え方や文化の違いや、相互理解が今よりも不十分であったと考える。当時の状況について研究することによって、現在の外交に活かせる部分があるのではないかと考えている。
結論・・・
上記について貴学文化構想学部にてアジア史に精通した柳澤明教授のもとで上述の研究を進めることを希望する。
柳澤 明「17~19世紀の露清外交と媒介言語」北東アジア研究別冊(3)p.147 – 1622017年09月
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