議論の整理・・・
メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどを含むマヤ地域には、西暦250年から830年の古典期に、無数の小都市が分立して文明を形作っていた。各都市は頻繁に戦争を行い、有力な都市が発生して周辺の都市を支配したが全都市が政治的に統一されたことはない。各都市の王は基本的に長男に継承され、戦争に破れれば殺された。全体の人口は最大で1000万人ほどと考えられており、石器を利用していた。都市間の交易は活発に行われ、ヒスイやカカオ、黒曜石などが取引されていたことがわかっているが、大河がなく、家畜の飼育も行われなかったので輸送の手段は主に人力だった。近隣にはトルテカ文明やアステカ帝国なども勃興し、盛んに交易が行われた形跡がある。マヤ文明の有名な特徴として、天体観測を基にした暦計算や文字記録が発達していることが挙げられる。マヤはツォルキンとハアブという2つの暦を使用し、他にも長期の暦がある。ハアブは1年が365日の周期であり、正確には365.2421日と把握していた。肉眼のみの観察でこのような高精度の暦の修正を行なっていたことは驚嘆に値するとされている。
問題発見・・・
私が特に興味を持っているのは、マヤ文明衰退の理由である。9世紀から無数にあった諸都市が連鎖的に衰退していった。現在様々な学説が唱えられており、外敵の可能性や交通網の変化による経済的衰退、農民の反乱、疫病など多岐にわたっている。
論証・・・
上記の研究のために、まずは先行研究を精査し、自分の立場を明らかにする。その上で遺跡の出土品を研究し、可能であれば発掘にも加わりたいと考えている。
結論・・・
貴学文化構想学部にてマヤ文明考古学に精通した寺崎 秀一郎教授のもとで上述の研究を進めることを希望する。
寺崎 秀一郎「マヤ文明の不思議:マヤとは何か」ユーラシア(158)p.12 – 13、2005年11月-
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