■議論の整理
国語教育と日本語教育は連帯しなければいけない重要な分野だ。日本語の文法教育を考えても、体言/用言と名詞/動詞では分類の作法が異なり、どちらが正確でどちらが有用かどは日本語研究者でも議論の分かれるところだ※1。しかし体言とした方が古典文法を理解するうえでは有用であったり、日本語は動詞というよりもです・ますが英語に相当するbe動詞とは異なる用いられ方をする点で、用言の方が良かったりすることもあるだろう。
■問題の発見
日本語の乱れが叫ばれて久しいが、言葉は生きているものであって、日々変化することはやむをえない。しかし一方で、語用論の側面だけでなく、形態論的な側面を重視した国語教育はある程度有効であり、必要なことだと思われる。
■論証
言葉がどう使用され、変化していくかは時代とともに移り変わるだろう。しかし一方で、主述の関係や、具体-抽象といった分類作業を念頭に置いた日本語教育は、現在読解力が低下してきていると言われている現段階の国語教育においては喫緊の課題だと思われる。
「あの映画の特徴は、登場人物の女性と目があいます。」と言う文章を適切に直しなさいという問題が出た時に、正答率が50パーセントに満たなかったことが一部で話題になったが、これは文末を~こと。などの名詞で終わらせることができない、主述の関係を理解していないことの表れであるが、このような形態論を理解することが、適切な読解力や表現力に結び付くことは明白だ。表現できないことは、適切に言語を分類できないことであり、表現されたものを整理して読むことができないことにもつながってしまう。
■結論
国語教育には、文法指導以外にも豊かな言葉の魅力を伝える役目がある。その際にも重要になってくるのが、日本語教育の基盤であると私は考えている。普通であればこのような表現をするのに、なぜここでは語幹だけになっているか、という疑問を持てるようになることが、言葉の工夫を読み取るための重要な契機であり、言葉の力を理解することに一役買うことになるからだ※2。
■結論の吟味
昨今では、デジタルデバイスの活用により、言葉が多く変化してきているように思う。言葉は短文化され、インパクトのある言辞が流行している。今一度、日本語の持つ特性と豊かさを再考し、子どもたちに指導していくための日本語教育と国語教育の在り方を考えたいと思い、貴学への入学を強く希望する。
※1森山卓郎・矢澤真人・安部朋世「国語科の学校文法における「品詞」について」『京都教育大学紀要』118 2011
※2森山卓郎「国語教育と日本語研究のさらなる協働をめざして」『全国大学国語教育学会発表要旨集』122 2012
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