問1(400字)
要約
この文章では、言葉の民主化について書かれている。事例として挙げられているのが、子供向けの本の言葉である。筆者は、小さいころに読んだ子ども向けの本は、子どもが読むべきものとして大人が選んだものであることに違和感を抱いていた。そのため、大人向けの本に、子どもが読めるようにルビを振っているほうが違和感はなかった。
筆者によると、大人の書き言葉と子どもの書き言葉のあいだの距離が小さいほど、その社会は民主主義が成熟している。民主主義が成熟していないと、ある種の「ウソ臭さ」が漂ってしまう。子供向けの本の例で言えば、子どもにいい本と言いながら、実際は大人が自分の都合で選び出したものに過ぎない、これが「ウソ臭さ」である。
筆者は、言葉の民主主義が実践されているのは聖書ではないかと述べている。聖書は、共通の聖典であるため、大人も子供も読めなければならない。そのため、大人向けの表現がベースであるが、子どもでも理解できるように配慮されている。(414文字)
問2(400字)
議論の整理(要約)
提示された文章では、これが子どもらしい言葉だと決めつけことは、民主主義的ではないと考えている。大人向けの言葉と子ども向けの言葉は基本的に同じであるが、強いて違いを言うと、子どもは退屈な文章やスピーチを我慢できない。そのため、大人向けと子ども向けと分けるのではなく、最初からやさしい文章を大人と子どもの両方に向けてつくればいい。
問題発見
大人の世界、子どもの世界を尊重することも、民主主義のあり方なのではないか。
論証
この文章の筆者の主張は、大人向けの言葉と子ども向けの言葉を近づけることに、民主主義の成熟を見出している。本を読む能力が高い子どもなら、大人と子どもの中間点となる文章についていけるが、それが難しい子どもも多いだろう。また、大人についても、高度な内容を求める人も多く、さらに、本の内容そのものが難解であることもある。
結論
私は、大人と子どもの多様性を尊重するためには、大人向け、子ども向けという区分は必要であると考える。
吟味
日本には聖書のように大人と子どもが共有できる書物はないので、開発することも一案であると思った。(471文字)
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