■ 議論の整理
20世紀初頭、印象主義や自然主義に対する反動から、内面に目を向け、主観的な表現を追求する表現主義と呼ばれる芸術運動が生まれ、絵画、音楽、文学や演劇、映画など多分野に影響を及ぼした。しかし、第一次世界大戦の勃発とナチスの台頭により、表現主義の芸術は「退廃芸術」として焚書・粛清されたものもあり、ナチスによるプロパガンダ芸術が台頭するようになった。しかし、その20年の間には、現代に通じる多くの非凡な才能が開花したことは事実である。ゲオルグ・トラークルは当時オーストリア・ハンガリー帝国の古都ザルツブルグに生まれ、サラエボ事件が起こった1914年に27歳の若さで亡くなるまでに書かれた詩は、日本語にも翻訳されている。
■ 問題発見
トラークルの生涯は、帝政の没落と崩壊から第一次世界大戦開戦までの複雑な時代背景の中で、高校時代にボードレールやランボーに影響を受けて詩を書き始めたが、中退、薬物、家族関係、薬剤師として入隊した戦地での経験、自殺や鬱といった波乱万丈の27年であったと言われている。その中でも、トラークルの詩集の出版に尽力した編集者、彼の才能を認めて評論を書いたハイデッガー、ヴィトゲンシュタインらは彼を天才詩人として認め、支えていた。短く儚い、決して文学に集中できたとは言えない環境の中で、トラークルを詩作へ駆り立てたものはなんだったのだろうか。また、時間と空間を超えて、現代に生きる私たちの心を揺さぶるのはなぜだろうか。
■ 論証
ランボーやボードレールなど、トラークルが詩作を始めるきっかけとなった象徴主義の詩人たちや同時代の芸術家たちの影響といった外部からの刺激はもちろんのこと、トラークルの生い立ちや内面の動きの両面から追求してみたい。
■ 結論
また、ドイツ語に磨きをかけ、ドイツ語で研究を進めることで、トラークルの生きた時代や環境に迫りたい。
■ 結論の吟味
トラークルと表現主義芸術をテーマにドイツ文学を掘り下げるにあたり、貴学でトラークルの詩集の翻訳にも貢献し、様々な視点から研究している中村朝子教授のゼミに入会することを強く希望する。
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