-
議論の整理:「ダイヴァーシティ」の定義と昨今の動き
ダイヴァーシティとは、人々のもつ出自や性質、嗜好や傾向の多様性を意味する語である。文化の垣根を越えた国際的な交流が容易になった現代では、人々のもつこうした性質等の組み合わせのパターンは増え続けており、人々がそれぞれの個性を受け入れ、多様なあり方を互いに認め合うことが求められるようになっている。いくつかの企業は、人種、年齢、性別、国籍などについて多様な人材を積極的に採用することで、生産性、柔軟性を向上しようと試みており、多様な人々を受け入れるための動きが注目を集めている。
-
問題発見:生産性とダイヴァーシティは両立するのか?(+問題の例示)
だが、今ここで挙げた例のように、多様性が生産性との関係で捉えられた場合、それが本当の意味で、多様性を認め合うことにつながる動きとなるのかについては疑問がある。例えば、世界には、体が不自由な人や心の病をもつ人がいる。こうした人々が、生産性を求める企業の期待に応えることは容易ではない。
-
論証:両立するとは限らない
しかし、こうした企業から見ると非生産的な特性をもつことも人間の個性である。そうである以上、多様性を認め合う社会を真剣に実現しようと思うのならば、こうした自らの期待に応じることのできない人々をも受け入れる準備がなければいけない。このような姿勢をもたない人々や企業に、人間の多様性を受けいれることなどできまい。
-
結論:生産性という視点によってダイヴァーシティは見誤られる
つまり、生産性という視点から人々の多様性が語られることによって、多様性を認め合うということの真の意味が見過ごされてしまう危険があるのだ。
-
結論の吟味:譲歩(企業の試みにも一定の意義はある)→ 結論の反復
もちろん、企業の行なっていることは、多様な人々を受け入れるための受け皿を作り上げることにはなるだろう。私たちは、他人に何かを求めた際、その要求にこたえてくれる人を積極的に受け入れ、こたえられない人々に消極的な感情を抱く。多様性を認めるとは、このような私たちのもつ自然な心の動きに待ったをかけ、その人の個性そのものを見つめ直すことであり、そこに多くの困難が伴うことは当然のことと言える。企業が作り上げる受け皿は、このような見つめ直しに伴う心理的な負担を軽減してくれるという側面があり、その意味で、上のような企業による試みにも一定程度の意義があるだろう。しかし、すでに述べたように、そのような視点でのみ多様性を語ることにはやはり限界がある。すなわち、私たちは、生産性の要求といったものを通してではなく、各人のもつ個性それ自体を受け入れることによってはじめて、多様性を認め合う社会を実現できるのである。
ダイヴァーシティとは、人々のもつ出自や性質、嗜好や傾向の多様性を意味する語である。文化の垣根を越えた国際的な交流が容易になった現代では、人々のもつこうした性質等の組み合わせのパターンは増え続けており、人々がそれぞれの個性を受け入れ、多様なあり方を互いに認め合うことが求められるようになっている。いくつかの企業は、人種、年齢、性別、国籍などについて多様な人材を積極的に採用することで、生産性、柔軟性を向上しようと試みており、多様な人々を受け入れるための動きが注目を集めている。
だが、今ここで挙げた例のように、多様性が生産性との関係で捉えられた場合、それが本当の意味で、多様性を認め合うことにつながる動きとなるのかについては疑問がある。例えば、世界には、体が不自由な人や心の病をもつ人がいる。こうした人々が、生産性を求める企業の期待に応えることは容易ではない。しかし、こうした企業から見ると非生産的な特性をもつことも人間の個性である。そうである以上、多様性を認め合う社会を真剣に実現しようと思うのならば、こうした自らの期待に応じることのできない人々をも受け入れる準備がなければいけない。このような姿勢をもたない人々や企業に、人間の多様性を受けいれることなどできまい。つまり、生産性という視点から人々の多様性が語られることによって、多様性を認め合うということの真の意味が見過ごされてしまう危険があるのだ。
もちろん、企業の行なっていることは、多様な人々を受け入れるための受け皿を作り上げることにはなるだろう。私たちは、他人に何かを求めた際、その要求にこたえてくれる人を積極的に受け入れ、こたえられない人々に消極的な感情を抱く。多様性を認めるとは、このような私たちのもつ自然な心の動きに待ったをかけ、その人の個性そのものを見つめ直すことであり、そこに多くの困難が伴うことは当然のことと言える。企業が作り上げる受け皿は、このような見つめ直しに伴う心理的な負担を軽減してくれるという側面があり、その意味で、上のような企業による試みにも一定程度の意義があるだろう。しかし、すでに述べたように、そのような視点でのみ多様性を語ることにはやはり限界がある。すなわち、私たちは、生産性の要求といったものを通してではなく、各人のもつ個性それ自体を受け入れることによってはじめて、多様性を認め合う社会を実現できるのである。(997文字)
コメントを残す