上智大学 文学部 国文学科 レポート等特定課題 2019年 小論文 解答例

■設問

日本の古典文学(漢文学を含む)・近代文学の中からそれぞれ1作品を読み、自ら考えたことを作品に即して具体的に述べなさい。

 

■答案構成/古典文学

議論の整理→今回題材とした作品の提示と内容の説明(竹取物語)

問題発見→竹取物語が持つメッセージ性は何か

論証→五人の男の奮闘記を記す意義

解決策or結論→かぐや姫の存在によって浮かび上がる竹取物語の主題

解決策or結論の吟味→不要

 

■答案

議論の整理→今回題材とした作品の提示と内容の説明(竹取物語)

誰もが知る「かぐや姫」の物語、そのルーツは平安時代までに遡る。成立した時期も作者も不明のこの作品は「源氏物語」において初めてその存在を登場させた。今回はそんな現代まで人々を魅了し続ける竹取物語の魅力に迫っていきたい。

竹取物語の軸は竹から生まれた美しい娘、かぐや姫を中心に回っていく。ある日光る竹を見つけた翁はその竹の中に世にも美しい珠のような幼子を見つける。いつも竹を取り暮らしていた翁はこれを神からの贈り物として早速家に連れて帰る。翁夫婦は非常に手厚く娘を育て三月ばかりで娘は美しい女へと成長してゆく。かぐや姫の名を決めた際には風習にならい盛大に祝いの席を設けるが、大事に育てる娘を翁夫婦は誰の目にも晒すことはなかった。しかしかぐや姫の評判を聞きつけて昼も夜も熱心に通い続ける五人の男が現れる。彼らはみな位の高い尊い身分の男達で、年を重ねていた翁はかぐや姫に彼らの求婚に応えるよう懇願する。そこでかぐや姫は五人に対し欲しい品を探し出してくるようそれぞれに注文する。その品はどれも入手することが大変に困難なものばかりでどの男も手を尽くしたが一人として探し出せた者はいなかった。その後時の帝までがかぐや姫の評判を聞いて姿を見るまでに至るが、かぐや姫は幻となって消え失せてしまい、宮中に連れていくことはついに叶わなかった。そこから三年の月日が過ぎ、かぐや姫は月を見上げては泣くことが多くなっていた。理由を聞いた翁夫婦にかぐや姫は自身が月の住人であることを告げ、八月の十五夜に故郷に帰ることを話す。話を聞きつけた帝が多くの使いを出しかぐや姫の周囲を守ったが、月の住人たちが舞い降りた途端どんな闘争心も消え失せて為す術なくかぐや姫は月へ帰ってしまったのである。

問題発見→竹取物語が持つメッセージ性は何か

この作品はジャンルで考えると恋愛作品ともSF作品とも捉えられる。かぐや姫は多くの男を魅了し遂には時の権力者である帝にまで見初められる。帝との婚約は果たされないものの二人は物語の中で手紙や歌を交換しており密かに愛を育んでいたようにも受け取れる。しかしたった三月で成長したり姿を幻に変えてみたりと人間離れした芸当を見せるかぐや姫は終盤月の住人であることが明かされ、同じく人間離れした力を持つ月の住人たちにより帰されてしまうなど、物語の起承転結は非常にSF的な構造を取っている。しかし私はこの作品を数度読み返し、その根幹にあるメッセージは恋愛賛歌でも超常的な力への畏怖でもないように感じられた。それは何の力も持たない人間への静かな賛美である。

論証→五人の男の奮闘記を記す意義

たとえばかぐや姫の世にも類稀なる美貌は人々を惑わし振り回すこととなるが、その振り回される男達の滑稽な姿は三者三様で非常に綿密に描写される。一人目の石造皇子は何でもない石をもっともらしく錦に包み偽り差し出して、二人目の車持皇子は多くの職人を呼び寄せて最大限に似せた品を差し出す。これは現代にも共通する狡賢い人間像でもありどうにかしてかぐや姫を手に入れようとする男の卑しく生々しい人間の姿を描き出している。反対に財産家である三人目の安倍の右大臣は自身の財力を利用し日本にやって来ていた唐の国の船からそれらしいものを購入し持参する。これはいつの時代にも存在する財力にものを言わせる典型的な男の例であろう。一方四人目の大伴の大納言は勇猛果敢な男で、一度は家来に命じるが誰も持ち帰って来ないと見るや自ら取りに出かけていく。しかし結局命からがらの大変な目に遭い、かぐや姫に近寄ろうともしなくなる。これは物語の内容こそ壮大であるが、女に振り回された男が痛い目をみるという現代でも見られる恋愛譚の一つととれる。最後の五人目である石上の中納言は素直で真っ直ぐな心根の持ち主で唯一自身の力で苦心した末、探しに出かける。しかし不運な事故により身体を痛め気も病んでしまい最後には死んでしまうという最も悲惨な結末を辿る。ではなぜこのエピソードが必要であったのか。

解決策or結論→かぐや姫の存在によって浮かび上がる竹取物語の主題

このエピソードの挿入は、かぐや姫の異常性は勿論のこと人間の愚かさを対比させる比較材料の役割を果たしている。それほどまでに人々が憧れ尊ぶかぐや姫は、終盤月の都へ帰る日が近づくと悲しみを露わにしていくが、そこで述べられるのは老いも悲しみもない月の世界へ戻る悲しみと老い先短い翁夫婦を見届けられない悲しさであった。今まで憧れの対象であった完璧なかぐや姫が月の都よりも人間世界に残りたいと願うのだ。このかぐや姫の主張は人間が本来良しとしていない老いや悲しみといった現象への賛歌ともいえる。竹取物語は完璧なかぐや姫が人間世界で成長し完璧な月の都へ帰る物語ではなく、完璧なかぐや姫が人間世界で成長し完璧な月の都への帰郷を嘆く展開を見せている。これまでかぐや姫へ求婚し失敗した五人の男や、老い先短くかぐや姫の嫁ぎ先を憂いた翁夫婦のいかにも人間らしい場面や感情がかぐや姫にとって失いたくないものに昇華されるのである。よって竹取物語は、恋愛要素やSF要素を詰め込みつつも非常に原初的なことを説いている作品と考えられる。すなわち完璧なかぐや姫を軸に据えることで完璧ではない人間への愛しさを描いた物語であるといえよう。

 

(計2107字)

 

 

■答案構成/近代文学

議論の整理→今回題材とした作品の提示と内容の説明(芥川龍之介「鼻」)

問題発見→他人の不幸に対する態度の在り方

論証→表裏一体の関係にある不幸と幸福

解決策or結論→「鼻」の物語構造から読み解く本作のテーマ

解決策or結論の吟味→不要

 

■答案

議論の整理→今回題材とした作品の提示と内容の説明(芥川龍之介「鼻」)

芥川龍之介の名作「鼻」は、鼻が異様に長い僧侶内供が自身の鼻を短くするために試行錯誤を繰り返す話である。内供は幼い頃より長い鼻を気に病みながらも人前では自身の自尊心を守るために平気な振りをしていた。しかしある日弟子の一人が鼻を短くする方法を持ってくる。早速試した内供は鼻を短くすることに成功するのだが、周囲の人々は以前にも増して内供を見て大っぴらに笑うようになるのだった。作中では理由の分からない内供に代わりここで作者から人の矛盾した感情について述べられる。それによると不幸な人は誰もが憐れむが、その不幸な人が不幸を抜けた時、人はなんとなく物足りなくなりもう一度不幸へ陥れて見たいような気がするということだった。この作品の最後では内供の鼻は一夜にして元の長い鼻に戻ってしまう。けれども内供はその事実に胸をなでおろして物語は幕を閉じる。

問題発見→他人の不幸に対する態度の在り方

この作品を読んでまず芽生えたものは他人の不幸に対する自身の感情はどうあるべきかという疑念であった。作中に登場する人々は内供の鼻がまだ長い時は噂にはするものの、あくまで当人の前では触れないよう心掛けているように感じられる。しかし内供の鼻が短くなった途端その態度は急変し、内供がいる場であっても笑うことに躊躇がなくなっていくのである。ここで起きている心情の変化は何なのだろうか。なぜ周囲の人々がより陰湿になってしまったのか、私は最初内供と同様に理由が全く見当もつかなかった。不幸な他人がその不幸を抜けた時に感じる物足りなさがその態度の変化だとあるが、それだけでは納得するまでには至らなかったのだ。

論証→表裏一体の関係にある不幸と幸福

そもそも鼻が長いという不幸は目に見える身体的な障害である。そしてその鼻が外観として醜く生活的にも支障をきたしているために人は内供を不幸だと憐れんでいる。ここには他人の不幸を見る人の本質が見え隠れしていると言える。すなわち他人の不幸を憐れむ心は、見る者が自分よりも劣っていると認めた時にしか起こり得ないということだ。たとえ本人が不幸と思っていなくとも他人が不幸と思えばそれは不幸ということになってしまう。これは実は非常に恐ろしいことで、不幸を作り出すのは他人の目であり態度であるという考えだ。たとえば、作中では内供は鼻が長いことをひたすらに気にしていない振りを貫いている。周囲が鼻を噂していることを彼はとっくに気付いているのだが、自身の自尊心のために気にしていない振りをしているのだ。これは既に長い鼻が不幸としてのレッテルを張られているからこそ必要になる行動であろう。なぜならもしも周囲が彼の鼻について一切噂をしていなかったならば、誰も気にしていないのだから彼は当然気にしていない振りをする必要自体がなくなる。しかしそうではなく周囲の目が不幸を突き付けてくるので、彼は自身の鼻を不幸なことと認識させられて脱却しようと試行錯誤を図るのだ。物語の転換点となる鼻の長さが常人の長さに変わる場面は内供が不幸から脱却したことを示している。するとそれは周囲からすれば自分よりも劣っていて不憫に感じていた者が、突然自分と同じ土俵に上がってきたことに等しい。そこで起きる感情こそ作中でも触れられていたなんとなく物足りない気持ちである。私はここで不幸というものがただそれだけで成立するのではなく、他人の幸福の尺度の上に成立するのではないかと考えた。つまり人は不幸な他人を見るときに相対的に自身の幸福を見ているのであって、劣っているものを憐れむ心は優れている自身への安堵も含まれているのだ。この物足りない気持ちとは、そうした自身の幸福が脅かされる気持ちであって当然面白いものではない。不幸から脱却した内供を周囲はもともと不幸であったものとして見続けるので、もう一度自身の幸福を確かめるために今一度の不幸を願うのだった。

解決策or結論→「鼻」の物語構造から読み解く本作のテーマ

なぜ周囲の変化の理由をすぐに見つけられなかったのか。それは不幸の定義を誤っていたためである。一見相反した二つの事柄に思える不幸と幸福が実は互いの延長線上に同時に存在するとすれば、今作の構造は非常に単純だ。不幸にある内供と幸福にある人々が逆転する話なのである。その不幸と幸福を分けるベクトルがタイトルにある鼻であり、その鼻の変化が不幸と幸福を逆転させるきっかけにもなっている。内供は自身の不幸を克服したことにより幸福にあった人々から陰湿な嫌がらせを受け始める。内供の鼻を噂して幸福を確かめていた人々は、正常な鼻になった内供に対し幸福を確かめる術を失ってしまう。ゆえに陰湿な嫌がらせで内供をからかい始めるのだ。この嫌がらせは今まで長かった内供の鼻を見て晴らせていた憂鬱とも考えられる。しかしそんな事とは考えつきもしない内供は鼻を正常にしたせいだと思い詰め、ラストで戻った長い鼻に心の平穏を取り戻す。鼻は今も昔も変わらない人間の不幸と幸福に対する矛盾を鋭くも滑稽に描いた作品といえよう。

 

(計2000字)

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