■ 議論の整理
近年、女性の芸術家による発信やネットワークが注目されている。特に、欧米諸国をはじめとする先進国ではなく、アジアやアフリカ、ラテンアメリカなど、政情が不安であったり、男性優位な社会の中で、学んだり発言したりする機会が限られている地域の女性が力強く声を上げている。私は特に、民衆演劇の伝統があり、戦前のプロレタリア演劇人で後生にはメキシコを拠点に活動した佐野碩とも関わりの深い、ラテンアメリカの女性演劇に注目している。
■ 問題発見
しかし、なぜ「女性」演劇なのか。立場を変えてみると明らかであるが、「男性」演劇という言葉はない。では男女平等が叫ばれる中、いまだに「女性の」という言葉をつけることにどんな意味があるのだろうか。
■ 論証
近年、ラテンアメリカ諸国は内政に不安を抱えながらも、経済発展を遂げ、政策面においてはマイノリティの地位向上にも力を入れている。しかし、長い歴史において女性は家父長制の中で、社会的にも、そして家庭内においても、二重にも三重にも抑圧下に置かれた存在であった。表現者が「女性の」とわざわざ前置きするとき、そこには一見和らいでいるように見えて、しかし日常に確実にある男女の非対称性を浮き彫りにし、警鐘を鳴らしているのではないだろうか。
■ 結論
コロンビアの現代演劇の主要人物であり、女性の権利のための演劇イベントやネットワーク構築に尽力してきたパトリシア・アリサにインタビューをした吉川教授は、彼女の言葉から演劇が女性を覚醒させ、社会を変えうるのだという強い信念を感じたと言う※。私も演劇という表現形式の持つ力とは何か、女性による女性のための演劇を通して探っていきたい。
■ 結論の吟味
上記を通して、芸術と社会変革の関係や可能性を考えていきたい。そのために、ラテンアメリカにおける舞台芸術研究、フェミニズム演劇の分野で研究を重ねている吉川美恵子教授のゼミに入会することを強く希望する。
※吉川恵美子. (2005). 連帯するラテンアメリカの女性演劇人. 演劇学論集 日本演劇学会紀要, 43, 139-146.
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