議論の整理・・・シンポジウム(※1)では、時間に関して、一つの考察が論じられている。それによると、未来は端的に「ない」。未来が「ある」のは錯覚である。人間はその錯覚をもちやすい。では、なぜそういった錯覚をもちやすいのであろうか、という問題提起がなされている。
問題発見・・・しかし、そのシンポジウムで議論が深まった形跡はない。
論証・・・これは極めて重要な問題提起である。人間が「いま」しか知覚できないのは明らかである。だったらなぜ「未来」を信じるのか。これは、強度のみを信じろと論じた宮台真司が時代とともに忘れられ、全ては意味の場の中に生起すると論じたマルクス・ガブリエルの書物がベストセラーになったことと呼応している。人間は、「意味」のない時空では生きていけないのではないだろうか。
結論・・・そこで私は、マルクス・ガブリエルの考察を深化させ、実在論の見地から見た「意味」と人間存在の関係について研究したい。
※1入不二基義、斎藤慶典(2011)「日本哲学会第七三回大会シンポジウム「未来という時間」総括」
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