- 議論の整理
三・一独立運動は植民地期最大の民族独立運動として歴史的に大きな意義を持った出来事であるが、その運動はそれ自体で完結したものと捉えるべきではなく、継続的に進められた独立運動の流れで解釈すべきである。実際、この運動はウィルソンの「民族自決の原則」という政治的理念を基盤として展開されたものであるが、本来、大戦へのアメリカの連合国側の参戦は日本の敗北を望む当時の朝鮮人活動家たちにとっては決して喜ばしいものではなかったはずである。国際情勢の変化に対応し、活動路線を変化させていった結果としての三・一独立運動であるならば、この運動が活動家に与えた意味も違ったものになるだろう。
- 問題発見
小野容照は朝鮮独立運動をアメリカの参戦やロシア革命によって戦局が大きく変化した1917年から戦後にかけての大戦との関わりという長期的な視点から検討している。そして、ウィルソンの掲げた「民族自決」という概念を当時の朝鮮人たちがどのように解釈したのかを論じた。この論においては、活動家たちがウィルソンの想定する「民族」が、歴史的な成熟を経た自治にふさわしいだけの政治的共同体であるということを理解したうえで自らがそれに該当する民族であると国際社会に訴えるという戦略を取っていたことを指摘する。しかし、その後自治を目指した独立運動が多方向へ分裂したことを考えると、活動家のこの態度は果たして真意であったのだろうか。
- 論証
先行研究では、三・一独立運動の経験こそが朝鮮人活動家たちに独立を国際社会に訴えるだけの実力不足を痛感させた可能性があることを指摘している。その上で、このような自覚こそがその後の民族改造運動へ繋がったとの見方を示している。本研究ではこれを踏まえて、民族改造運動の展開について大戦との関わりから検討していきたい。
- 結論
上記研究を行うにあたって、これまで貴学においてアジア国際政治史に関する数多くの研究を行ってきた永田教授のもとで学ぶことを強く希望する。
参考文献
小野容照 (2017) 「第一次世界大戦の終結と朝鮮独立運動―― 民族「自決」と民族「改造」 ――」『人文学報』 110, 1-21
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