早稲田大学 スポーツ科学部 2013年 小論文 過去問解説

■ 設問

これは、5STEPを使って解くべき問題。

議論の整理→ AとBそれぞれの論点

問題発見→ 各年代の国際情勢の違い 

論証→ ナショナリズムの台頭により、スポーツの価値が低められてきた

解決策or結論→ ナショナリズムの枠組みを取り払ってスポーツを楽しむ

解決策or結論の吟味→ ナショナリズムを煽る報道の見直し

■ 答案例

議論の整理→ AとBそれぞれの論点

Aでは、文化的要素としてのスポーツが、闘争欲をシンボリックに作り替えたものとみなされている。その上で、国際緊張を緩和したり、交流を促進したりする手段としてのスポーツの役割に期待している。一方Bでは、スポーツを通じたナショナリズムの高まりが、危うさを持ち合わせていることを指摘している。つまり、スポーツを通じて敵と味方が識別されることで互いの対立感情が高まり、現実世界での紛争や戦争を激化させることが危惧されている。

問題発見→各年代の国際情勢の違い 

ここではそれぞれが書かれた国際情勢について問題にする。

論証→ ナショナリズムの台頭により、スポーツの価値が低められてきた

Aが書かれた1970年代は、アメリカとソ連における冷戦の最中であり、世界は社会主義国家と資本主義国家に分かれていた。各国間のナショナリズムはさほど目立っていなかったことから、スポーツ外交によって、結束を高めることが重要な役割を果たすと考えられたのであろう。しかし、Bが書かれた2000年代には、既に冷戦が終結し、各国のナショナリズムの台頭が目立ってきた。とりわけオリンピックなどの国際的大会においては、かつての戦争でしがらみのあった国同士の対決では、代替戦争のような熱狂・緊張感で報道がなされた。また、スポーツ選手は自国を象徴する存在としてみなされたり、国の名誉のために競い合わされたりして、負ければ国民から生命の危険にさらされる程度に責められることも少なくなかった。このようなナショナリズムの高まりは、実際の紛争を引き起こしかねない危うい側面を持ち始めていると考えられたのであろう。以上のことから、スポーツが本来持ち合わせている人と人の相互作用という側面は無視され、闘争の手段として象徴化されることによってスポーツの価値が低められてきているといえる。

解決策or結論→ ナショナリズムの枠組みを取り払ってスポーツを楽しむ

この問題を解決するには、スポーツにナショナリズムを見いだし、スポーツを通して国家の交流を図るというあり方をやめる必要があると考える。こうしたナショナリズムの枠組みを取り払うことができれば、我々はこれからの人類社会にスポーツが持つ意味として、スポーツには「国家の」というよりは、人類全体のコミュニケーション手段としての魅力があることに気付くであろう。

解決策or結論の吟味→ ナショナリズムを煽る報道の見直し

そのためには、まず報道はスポーツ報道において、国と言う枠組みを超えた交流の素晴らしさに着目して普及すべきである。さらに、選手を国という単位で報道するのではなく、一人一人の人間性や精神性を尊重すべきである。

 

Aでは、文化的要素としてのスポーツが、闘争欲をシンボリックに作り替えたものとみなされている。その上で、国際緊張を緩和したり、交流を促進したりする手段としてのスポーツの役割に期待している。一方Bでは、スポーツを通じたナショナリズムの高まりが、危うさを持ち合わせていることを指摘している。つまり、スポーツを通じて敵と味方が識別されることで互いの対立感情が高まり、現実世界での紛争や戦争を激化させることが危惧されている。

ここではそれぞれが書かれた国際情勢について問題にする。Aが書かれた1970年代は、アメリカとソ連における冷戦の最中であり、世界は社会主義国家と資本主義国家に分かれていた。各国間のナショナリズムはさほど目立っていなかったことから、スポーツ外交によって、結束を高めることが重要な役割を果たすと考えられたのであろう。しかし、Bが書かれた2000年代には、既に冷戦が終結し、各国のナショナリズムの台頭が目立ってきた。とりわけオリンピックなどの国際的大会においては、かつての戦争でしがらみのあった国同士の対決では、代替戦争のような熱狂・緊張感で報道がなされた。また、スポーツ選手は自国を象徴する存在としてみなされたり、国の名誉のために競い合わされたりして、負ければ国民から生命の危険にさらされる程度に責められることも少なくなかった。このようなナショナリズムの高まりは、実際の紛争を引き起こしかねない危うい側面を持ち始めていると考えられたのであろう。以上のことから、スポーツが本来持ち合わせている人と人の相互作用という側面は無視され、闘争の手段として象徴化されることによってスポーツの価値が低められてきているといえる。

この問題を解決するには、スポーツにナショナリズムを見いだし、スポーツを通して国家の交流を図るというあり方をやめる必要があると考える。こうしたナショナリズムの枠組みを取り払うことができれば、我々はこれからの人類社会にスポーツが持つ意味として、スポーツには「国家の」というよりは、人類全体のコミュニケーション手段としての魅力があることに気付くであろう。そのためには、まず報道はスポーツ報道において、国と言う枠組みを超えた交流の素晴らしさに着目して普及すべきである。さらに、選手を国という単位で報道するのではなく、一人一人の人間性や精神性を尊重すべきである。(980文字)

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