慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 2004年 解説

・ 問題文

問題 主としてわれわれの税金を原資とした政府レベルの対外援助を政府開発援助(ODA)と呼んでいます。日本は,1980年代にODAを増やし,90年代に入ると,米国,フランス,英国など主要援助国を抜いて,援助額では,世界一になりました。しかし,1998年の153億2千3百万ドルを最後に減少に転じ,2001年には日本は米国に抜かれ。第二位になりました。日本の2001年の支出額は,98億4千7百万ドルに留まりました。
日本のODAは,対べトナムのように二国間の援助と。世界銀行のような国際機関への資金拠出によって構成されています。二国間援助を医療分野を例に説明すると。病院建設,医療器具の無償での提供(無償資金協力),医療技術の指導など人的協力(技術協力)と。ダムや港の建設など巨額の資金を必要とする案件に対する資金貸付(有償資金協力)の三つからなっています。2001年では,無償資金協力が約19億ドル(19.3%)。技術協力が約28億ドル(28.8%),有償資金協力が約27億ドル(27.6%)で残りが国際機関への拠出金約24億ドル(24.3%)でした。世界銀行など国際機関は,日本,その他の諸国からの資金により,独自に援助を行っています。
問1
日本政府は、冷戦終結後の海部内閣時にODAを行うに際しての原則を定め,ついで宮沢内閣時代の1992年6月30日に,理念,原則などを包括的に示したODA大綱(資料1)を閣議決定しました。その11年後の昨年8月29日,小泉内閣は新たなODA大綱を閣議決定しました(資料2)。両者は,中身は似てはいるものの。よく読むと。相当大きな違いがあります。重点の置き方の違いが記述の仕方,分量などからもうかがえます。旧大綱が米ソ冷戦終結という国際社会の構造変化を前提としていたように,新大綱も内外の変化を反映しています。この10年の国内社会の最大の特徴は,バブル崩壊による長期にわたる不況でしたが,決してそれだけではありません。さまざまな政策や行政の仕組みについて変化がみられました。言い換えれば,日本のODAを取り巻く環境が,10年の間に著しく変化したということです。そこで。この10年の国際社会,国内社会双方の変化について。新ODA大綱が必要となった理由を説明できるように。1000字以内で記述してください。
問2
ODA大綱は新旧いずれも,日本政府のODAに対する姿勢を示すものです。当然のことながら,ODAを肯定的にとらえています。他方。資料3にあるように,一部NGOのODAに対する考え方は、政府のODAに対する見方とは相当異なるものです。なぜ,このような見方の相違が生まれてくるのか。500字以内でその理由を説明してください。なお、ここでNGOが主張している内容についての日本政府の見解は資料4にみるとおりです。なお回答は,コトパンジャンダム(コタパンジャンダム)という個別案件の是非を問うているわけではありません。あくまで、見解の相違が生まれてくる理由について諸君の説明を求めています。

・ 問題の読み方

 こうした問題を解く際には、そもそも多くの先進諸国が前提としている「進歩史観」を否定するべきである。進歩史観とは、科学技術などの進歩により豊かな生活を享受することに価値を置き、それをあまねく世界に広げることを正義とする価値観・歴史観のことである。

 そうした考え方を自明とするのではなく、選択肢の一つであるとしながら小論文を執筆しないかぎり、なぜ資料3にあるような批判が生まれるのかを理解することは難しいだろう。

 その上で、問一・問二の答え方を説明すると「記述してください」「説明してください」とあるため、一見要約問題のように感じるが、問題設定がすでに問題文中で為されているだけで、典型的な5STEPsを用いる問題である。

・ SFC小論文に求められる解答の指針

 先にも触れたように、先進国の物質的豊かさに価値を見出す価値観を自明のものとすることなく、それを選択肢の一つとして把握することが出来る学問的視野の広さが重要である。アーミッシュの文化への理解や、文化人類学的な知見が求められる小論文の一つである。

・ 模範解答

問一

議論の整理→

ODAとは、政府開発援助の略で、日本は終戦以来、発展途上国に対する開発援助を増加させてきた。冷戦終結を経た1992年には、積極的なODA大綱を打ち出し、東欧諸国の民主化・市場開放も見据えた助成策を取ってきたが、2003年のODA大綱では一転して、消極的かつ途上国に自助努力を求めるODA大綱を制定し、アジアを中心とした発展途上国援助に舵を切った。
旧ODA大綱発表時には、冷戦終結後、次々に独立した旧ソ連諸国が自由と民主主義の妨害者にならないよう神経をすり減らす必要があった。旧ソ連は日本にとっても大きな安全保障上の脅威であった。たとえば、それは当時北海道に多くの自衛隊が配備されたことからも極めて明確であった。

……基本的な考え方として、新旧のODA大綱をそれぞれ見てもこのような流れはつかめない。それぞれを比較した上で、新しいODA大綱において、特に変わった部分について着目しなければならない。たとえば、それぞれのなかで、注力する地域が東ヨーロッパから東南アジアに変化している点や、それぞれの時代性などに着目して議論を再構成する。

問題提起・論証・解決策or結論→

だが、冷戦後旧東欧諸国の住民は、非常に勤勉な労働力として、奇跡的なほどの長時間労働に耐え、日本側が想定したよりも遥かに早い経済力の回復を成し遂げた。こうした背景から、新しいODA大綱が必要となった。

解決策or結論の吟味→

新しいODA大綱では、日本の不景気にある程度対応したODA像の模索と、新たな経済進出先探しとしてのODAの展開という二つの目的を両立させる必要があった。
日本は慢性的な不景気のため、ODAを無法図に拡大するわけにはいかなかったし、また日本に変わる新たな成長市場に対し、ODAのような形であれ投資をした上で、願わくば日本企業の進出先を見出す必要があったためである。
こうした部分から、日本のODAはアジア中心に大きく舵を切ったように思える。実際に、各地域についての分量も、アジア圏に割く分量がかなりの部分大きくなった。
こうした方針からは、発展しつつあるアジア諸国を支援することで、回収可能なODAを行う方針を明確にしながら、日本企業の利益創出にも役立てようとする意図がかいま見える。

……課題の変化と、日本が抱えた新たな課題を加味しながら、それがODAに与えた影響について述べている。出題意図からして影響を述べる問題なので、このような書き方で良い。

問二

議論の整理→

ODAについては様々な見方がある。政府や仕事を請け負う民間企業に代表されるようにODAを高く評価する向きもあれば、一方でODAをまったく評価しない意見もある。後者のような意見は、往々にして市民団体などになされることが多い。

問題発見→

市民団体により、こうしたODAに対するネガティブな評価が出てくるのは、そもそもネガティブな評価をすることを始めから決定しており、次いでそれに適合する証拠を探そうとしているためだと私は考える。

論証→

たとえば、この事例についてはダム工事があったために失業した人の例が出ている。だが、彼が転職出来ないのは、ダム工事のためではなく、彼自身の職業訓練によるものである。人生にはさまざまな転機があるが、こうした際に転職が出来ないにはひとえに彼の自己責任である。にもかかわらず市民団体がこうした要素を無視するのは、はじめからネガティブな評価をしようと決めにかかっており、その中で為にする議論がなされるからである。

解決策or結論→

我々がこうした議論における見解の相違に左右されないためには、問題をいくつかに切り分け、問題だとされている現象がどのような原因によって発生するのかをしっかり分析することが大切である。このような作業を怠ると、こうした見解の相違が生まれるのである。

……文字数が少ないため、解決策or結論の吟味は省略。考えたことを書くだけの問題なので、引用による解説も省略。

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