慶應義塾大学SFC 総合政策学部 2023年 小論文 解答例

慶應義塾大学 総合政策学部 2023年 小論文 解答例

問1

文章1〜4のうち、少なくとも3つに具体的に言及し、大学での学びについて重要だと考えるものについて600文字以内で論ぜよ。それぞれの文章の内容に賛成する必要はない。批判的検討は常に重要であり、反論も歓迎される。問1の冒頭の欄に直接言及する文章の番号を必ず記入すること。

 

[冒頭の欄] 1 2 3

 

議論の整理……1〜4のうち3つに「具体的に」言及(120字程度)

 

  • J,S,ミル 大学教育(19世紀の英国)

……彼の時代と今日ではすべてが異なったのだろうか。あるいは今日でも通用する要素があるのだろうか。

 

  • 経団連 大学教育への経済界としての要望をまとめた報告書(2022年日本)

…… ミルの議論とどのような共通点、相違点があるだろうか。

 

  • 哲学者 ショーペンハウアー (19世紀始め〜半ば・ドイツ)

……読書とは「自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうこと」

  • 文学者で精神分析の専門家 バイヤール(1950年代生まれ・フランス)

……読書に関する「偽善的態度」をあぶり出している

…… 学びの一つの柱となる読書と、その背後にある「知」の問題について、独自の支店で論じる。読書や「知」の重要を踏まえつつも、それらの無条件な礼賛ではない。

…… これまでに読んでいない本について「読んだふり」をしたことはなかっただろうか。それは、知的であるように見られたかったからだろうか。人はなぜ、知的であるとおもわれたいのか。あるいはそうでない人もいるのだろうか。いるとしたらなぜだろうか。人はなぜ、知的であると思われたいのか。あるいはそうでない人もいるのだろうか。いるとしたらなぜだろうか。そこに社会の何を見出すのか。政策を考える際に留意することはないか。

 

文章1でJ.S,ミルは大学の目的を職業人を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあるとした。一方、文章2で経団連は、大学の教育面の役割は、社会の中核で活躍する人材を育成・輩出することにあるとした。また、文章3でショーペンハウアーは、読書するとは、自分でものを考えずに代わりに他人に考えてもらうことだとした。これを文章1の立場から考えると、読書するとは、高度な知識を理解する上での一般的知識を身につける営みであり、資料2の立場から考えると、読書するとは新しい時代のニーズを捉えるために必要不可欠な営みとなる。

 

問題発見……大学での学びにおいて重要だと考えるもので1〜4のうちの3つと意見が異なる点(論点→論ぜよ)

 

 ここで、資料2の立場から資料3の内容を捉えたときに、新しい時代のニーズを捉えるための読書、というあり方が浮かぶが、こうした読書のあり方が新しい技術の開発にもたらす弊害について考えたい。

 

論証…… (論証の型:演繹法)

 

[演繹法]

 

規範……

 

ここで、資料2では「人々は、年がら年中最新刊ばかり読み、一方書き手の考えは堂々巡りし、狭い世界にとどまる。こうして時代はますます深く、自ら作り出したぬかるみにはまっていく」とある。

 

具体例……

 

具体的には、現在の日本では最新の技術にキャッチアップすることに汲々としており、新しいアイディアが生み出されていない。

 

あてはめ(具体例を規範にあてはめる)……

 

このような日本の姿を鑑みると、キャッチアップのみを行う社会では、イノベーションは起こりにくいと考えられる。

 

結論……?

 

一方で、真にイノベーションにあふれる社会においては、最新技術のキャッチアップばかりではなく、むしろ芸術や古典などを幅広く学ぶことで、新たなイノベーションが起きていくものだと考えられる。大学教育においてもまた、現状の研究からのジャンプアップを実現するものは、現在の科学技術とは距離がある幅広い教養であると私は考える。

 

吟味……自分の意見の他の意見からの検証、再検討

 

 

問題1 解答例

 

文章1でJ.S,ミルは大学の目的を職業人を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあるとした。一方、文章2で経団連は、大学の教育面の役割は、社会の中核で活躍する人材を育成・輩出することにあるとした。また、文章3でショーペンハウアーは、読書するとは、自分でものを考えずに代わりに他人に考えてもらうことだとした。

ここで、資料2の立場から資料3の内容を捉えたときに、新しい時代のニーズを捉えるための読書、というあり方が浮かぶが、こうした読書のあり方が新しい技術の開発にもたらす弊害について考えたい。

ここで、資料2では「人々は、年がら年中最新刊ばかり読み、一方書き手の考えは堂々巡りし、狭い世界にとどまる。こうして時代はますます深く、自ら作り出したぬかるみにはまっていく」とある。

この記述を具体的に落とし込むと、現在の日本の大学では最新の技術にキャッチアップすることに汲々としており、新しいアイディアが生み出されていない。

一方で、真にイノベーションにあふれる大学においては、最新技術のキャッチアップばかりではなく、むしろ芸術や古典などを幅広く学ぶことで、新たなイノベーションが起きていくものだと考えられる。大学での学びにおいてもまた、現状の研究からのジャンプアップを実現するものは、現在の科学技術とは距離がある幅広い教養であると私は考える。

(579文字)

 

問2

 

文章1〜4を踏まえ

 

  •  問2の冒頭の欄に、社会における「知」として最も重要だと考える要素や役割を簡潔に示せ
[ 中庸 ]

 

  •  そのうえで、今日の世界における「政策」-日本でも海外でも良い-の具体的事例を2つ挙げ、(ア)で示した「知」がどのように生かされているか、あるいは活かされていないかを含め、800文字以内で論ぜよ。その際に、文章3ないし4(あるいは両方)に具体的に言及することが望ましい。

 

議論の整理……4に「具体的に」言及

 

文章4では、人々が読んでいない本についてさも読んだかのように振る舞う理由として、読書義務、通読義務、本を語ることに関する規範の3点を挙げている。これらの規範を守るために、人々のあいだでは本を読むことについての嘘が横行しているとしている。

 

問題発見…… 今日の世界における「政策」-日本でも海外でも良い-の具体的事例を2つ挙げ、(ア)で示した「知」がどのようにあるいは活かされていないか(論点→論ぜよ)

 

ここで、今日の世界における政策、特に人口政策としては中国の一人っ子政策と日本の少子高齢化対策が、こうした本を読んでいないにも関わらずさも読んでいるように見せかける人々によるものであり、かつこれらの政策立案においては「中庸」という「知」が活かされていないということについて論じていきたい。

 

論証…… (論証の型:言い分方式)

 

まず、中国の一人っ子政策については、人口が爆発すると食糧生産が追いつかなくなり社会が不安定化するため子供の出産を一人までに絞るという政策だが、こうした懸念はマルサスの「人口論」の時代から叫ばれてきたものの、人口の拡大よりも農業技術の発展のほうがスピードが早く、かつ公的な福祉が発展した先進国では子育ての費用対効果が悪く自然に出生率が下がるため、マルサスの懸念は実現しなかった。中国の政策はこうした先例を無視して行われた極端な政策であり、「中庸」という知を活かせていない上に、読んでない本を読んだと言い張る式の官僚の無謬性を守ろうとしたがためにその誤りを修正するのが遅れた官僚政治の例といえる。

一方で、日本の少子高齢化対策については、そもそも高齢者とは相対的な概念であり、年齢の中央値が50歳である日本社会では60歳以上を高齢者として遇することはできないという年金制度発足当初の人口動態と現在の人口動態の比較を無視した政策であるといえる。そもそも周りの人が働いているから働く、という働くことに対する自らの職業観の欠如が、60歳以上は退職して年金を与えるという無謀な政策につながっており、これが現在の日本の財政の苦境をもたらしている。これもまた「中庸」という知を活かせていない上に、読んでない本を読んだと言い張る式の官僚の無謬性を守ろうとしたがためにその誤りを修正するのが遅れた官僚政治の例といえる。

 

結論……?

 

このように、中国と日本の双方で、「中庸」という知を活かせていない上に、読んでない本を読んだと言い張る式の官僚の無謬性を守ろうとしたがためにその誤りを修正するのが遅れた官僚政治が行われているというのが私の分析である。

 

吟味……自分の意見の他の意見からの検証、再検討

 

 

問2 解答例

 

文章4では、人々が読んでいない本についてさも読んだかのように振る舞う理由として、読書義務、通読義務、本を語ることに関する規範の3点を挙げている。

ここで、今日の世界における政策、特に人口政策としては中国の一人っ子政策と日本の少子高齢化対策が、こうした本を読んでいないにも関わらずさも読んでいるように見せかける人々によるものであり、かつこれらの政策立案においては「中庸」という「知」が活かされていないということについて論じていきたい。

まず、中国の一人っ子政策については、人口が爆発すると食糧生産が追いつかなくなり社会が不安定化するため子供の出産を一人までに絞るという政策だが、こうした懸念はマルサスの「人口論」の時代から叫ばれてきたものの、人口の拡大よりも農業技術の発展のほうがスピードが早く、かつ公的な福祉が発展した先進国では子育ての費用対効果が悪く自然に出生率が下がるため、マルサスの懸念は実現しなかった。中国の政策はこうした先例を無視して行われた極端な政策であり、「中庸」という知を活かせていない上に、読んでない本を読んだと言い張る式の官僚の無謬性を守ろうとしたがためにその誤りを修正するのが遅れた官僚政治の例といえる。

一方で、日本の少子高齢化対策については、そもそも高齢者とは相対的な概念であり、年齢の中央値が50歳である日本社会では60歳以上を高齢者として遇することはできないという年金制度発足当初の人口動態と現在の人口動態の比較を無視した政策であるといえる。そもそも周りの人が働いているから働く、という働くことに対する自らの職業観の欠如が、60歳以上は退職して年金を与えるという無謀な政策につながっており、これが現在の日本の財政の苦境をもたらしている。これもまた同様の官僚政治の例といえる。

(753文字)

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