(v9q177001m0)
■設問
問題1
このような場合、
5STEPの議論の整理の「共通の前提」「わかりにくい言葉の言い換え」の応用型を使うと良い。
問題2
これは、5STEPを使って解くべき問題。
- 議論の整理→ 福沢の考え方
- 問題発見→ 惑溺をなぜ批判したのか
- 論証→ 惑溺は日本の古習のみを指すわけではない
- 結果→ 精神の独立を失っている状態を批判している
- 結果の吟味→ 文明の進歩を妨げるのが惑溺であるとして批判した
■解答
問題1
福沢は、世論にはとらわれない考え方、すなわち「異端妄説」を進んで唱道することをよしとするような心構えが共有された状態を「自由の気風」と呼んだ。多事争論とは、その中で様々な「異端妄説」が出現して、互いに競いあう有様のことを意味する。その過程では、しばしば間違いが生じることもある。しかし、そうした間違いそのものが、試行錯誤的に社会全体の知識の在り方の改善に寄与していくと考えた。(188文字)
問題2
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議論の整理→ 福沢の考え方
福沢は、政府の主導ではなく、世間一般の人々の活動が文明を進歩させるという考えをもっていた。特に、異端妄想を唱えるエリート的な少数の人物に期待し、民衆による多事争論の課程を重視していた。
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問題発見→ 惑溺をなぜ批判したのか
ここでは福沢が、なぜ「惑溺」という考えを批判したのか論じる。
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論証→ 惑溺は日本の古習のみを指すわけではない
「惑溺」という言葉は、旧来の日本の遅れた迷信や、価値観に拘束されている有様を指す言葉として用いられているが、福沢にとっては、日本の古習のみを指していたのではなかったと考えられる。実際に、文明化のためには西洋文化を模範とすべきことを説きながらも、その一方で西洋を盲信することも強く戒めていた。また、大多数の一般の人が雷同する世論についても、罪も功もないものと位置づけた。
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結果→ 精神の独立を失っている状態を批判している
つまり、福沢は、従来の日本の慣習や迷信も、西洋の文物でも、さらに世論でも、一定の見方や考え方にのみ依存して、それに拘束され、精神の独立を失っている状態を批判していたと考えられる。
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結果の吟味→ 文明の進歩を妨げるのが惑溺であるとして批判した
福沢にとっては、文明の進歩は、そうしたしがらみから独立した自由な気風と精神の活動によってなし得るものであり、これを妨げるものを惑溺として批判したと考えられる。
福沢は、政府の主導ではなく、世間一般の人々の活動が文明を進歩させるという考えをもっていた。特に、異端妄想を唱えるエリート的な少数の人物に期待し、民衆による多事争論の課程を重視していた。ここでは福沢が、なぜ「惑溺」という考えを批判したのか論じる。「惑溺」という言葉は、旧来の日本の遅れた迷信や、価値観に拘束されている有様を指す言葉として用いられているが、福沢にとっては、日本の古習のみを指していたのではなかったと考えられる。実際に、文明化のためには西洋文化を模範とすべきことを説きながらも、その一方で西洋を盲信することも強く戒めていた。また、大多数の一般の人が雷同する世論についても、罪も功もないものと位置づけた。つまり、福沢は、従来の日本の慣習や迷信も、西洋の文物でも、さらに世論でも、一定の見方や考え方にのみ依存して、それに拘束され、精神の独立を失っている状態を批判していたと考えられる。福沢にとっては、文明の進歩は、そうしたしがらみから独立した自由な気風と精神の活動によってなし得るものであり、これを妨げるものを惑溺として批判したと考えられる。(474文字)
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