慶應義塾大学 経済学部 1987年度 小論文模範解答
[議論の整理・はじめ]
議論の整理……
問題発見……
論証……
解決策or結論・結果……
[議論の整理・終わり]
問題発見…
論証……
解決策or結論・結果……
解決策or結論・結果の吟味……
ここで、ベルサイユ条約が抱えていた問題を挙げたい。この条約の問題点は、ひとえに十分な資源を持たない国家に多額の賠償金を請求したため、講和条約の破棄を招いた点である。
ベルサイユ条約では、戦費の回収と再度の戦争の勃発を旧敵国側の軍備縮小により回避する目的で、旧敵国に対して多額の賠償金が請求された。その上、植民地を奪われた敗戦国側は、特に世界恐慌後、賠償金を返す手立てを失った。こうした状況の中でドイツ国内の貧困は深刻化し、結果としてこうした社会情勢がナチス・ドイツの勃興を招いた。
結果として、ベルサイユ条約は破棄され、第二次世界大戦へと突き進むことになった。そして、二度の世界大戦経て、世界は植民地支配の生産性の低さや、大戦がいかに経済的疲弊をもたらすかを学んだのだ。
ここでは、特に植民地支配の生産性の低さについて言及したい。
植民地支配の利益が、想定よりもはるかに低い原因は、費用対効果のタイムラグがある。植民地支配の当初は、学校の建設や警察など諸施設の整備、反対運動の鎮圧など多数のコストを必要とするにも関わらず、産業を近代化し、十分な利益を得られるようになるには数十年掛かることが常であった。また、こうした利益でさえも、現地の反植民地運動の影響で十分に享受できない可能性があった。
こうした背景から、こうした社会的基盤の整備は、先進国が十分な援助を行いながら、独立した後進国自身に任せ、後進国企業に出資する形で利益を享受したほうが得策であることを、多くの先進国は大戦後学んだ。こうした背景から、1960年代末までにアジア・アフリカの多くの植民地が独立を果たした。
結果としてこういった取り組みにより、先進国はより多くの利益を旧植民地圏から得ることができ、また旧植民地は独立国家としての誇りを取り戻し、民族主義的な強権指導者による開発独裁による経済発展を可能にした。
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