慶應義塾大学 文学部 小論文 2014年 解説

・ 問題文

設問1 この文章で論じられている「異邦人」について、三〇〇字以上三六〇字以内にまとめなさい。
設問2 「異邦人」とはどのような存在か、この文章を踏まえてあなたの考えを三ニ〇字以上四〇〇字以内で述べなさい。

❐ 問題の読み方

設問I 要約問題
 一般に要約問題で必要な要素は
1. 議論の前提となっている条件や、議論上の立場が違えども共有している理想
2. それぞれの意見の違い
3. 意見の違いを生み出している価値観や視点の違い(定性的な違い=数字にできない)
4. それぞれの意見における重要な指標数量などの違い(定量的な違い=数字にできる)
5. 分かりにくい抽象的な概念を噛み砕いた説明
6. 具体例の無視・具体例の概念化(抽象化=一般化)
の6つである。今回の問題は定性的かつ抽象的なテーマについて扱っているので、1.2.3.5.あたりを使う可能性が高いと考えられる。

設問II 論述問題
 300字前後の論述問題は一橋大学・京都大学のような難関でも見られない出題形式であり、国内では唯一国際教養大学と慶應義塾大学文学部のみが扱っている。字数指定がないが、慶應義塾大学法学部も比較的これに近い出題をするが、大方の予想に反して1200字の論述問題よりも300字の論述問題のほうがはるかに難しい。その理由は後述するが、こうした大学を受けるぐらいならまだ医学部のほうが努力が報われる気さえする。
 多くの記述式出題で見られる説明問題・要約問題とこうした論述問題の大きな違いは、その構成要素にある。論述問題を構成するためには少なく見積もっても
1. 議論の背景知識・背景事情の説明
2. 解決すべき問題の発見
3. 問題の論証
4. 根本的な原因を潰すための解決策or結論の提案
5. 解決策or結論の吟味・検討と解決策or結論の決定
の5つの要素が必要になる。それぞれの構成要素に使える字数が300字問題の場合は60文字程度しかないことが、こうした問題を解くことを難しくしている。

 特に困難なのが、「3. 問題の論証」の項である。一般に慶應SFCや慶應経済で見られるような800字~1200字程度の小論文であれば、問題の原因を分析する場合には、以下のような「なぜなぜ分析」「どうするどうする分析」を使うことが多い。以下、このアプローチについて説明していく。
 「なぜなぜ分析」とは、問題の原因を何段階にも渡って分析するプロセスである。
 なぜなら、たいていの場合、ある問題点に対して出された思いつきの原因は、正しい原因ではないし、思いつきの解決策or結論は正しい解決策or結論ではない。問題が起きた時に、短略的にこれが解決策or結論だ!と判断することは好ましいことではない。もし仮にその解決策or結論が正しかったとしても、その根拠が希薄であるために他人を説得しづらい。まして、短略的に導かれた問題の原因と解決策or結論は正しくない事が多い。言い方を変えると、反論に抵抗する力が弱いことが多い。これは小論文を書く上では大きな問題になる。
 そのため、一般に小論文では問題の原因を何段階にも渡って分析する。具体的に説明してみよう。
 たとえば、Aという問題に対して、Bという原因が浮かんで来るとする。
この場合、Bという原因がどうして生まれたのかを分析する。そうするとCという原因が出て来る。
さらに、Cという原因がどうして生まれてきたかを分析する。そうするとDという原因が出て来る。
これ以上思いつかないというところまで原因を分析したら、あとはDという根本的な原因を潰すための解決策or結論を書けばいいだけだ。
ところが、Aという問題に対してBが原因である、と短略的に決めつけた場合、Bを潰すための解決策or結論を提案することになるから、根本的な原因Dを潰す解決策or結論よりも解決策or結論の質が下がる可能性が高い。

 また、もし仮に天才的な洞察力を持つ書き手がいるとして、Aという問題に対してDが原因であると一発で見抜いた場合にも、Aという問題からDという原因に至るまでの理路が不明瞭なため、読み手は首をかしげざるを得ない。よって、AからDまでの理路を丁寧に説明した解答よりも、論証部分の質が下がる可能性が高い。
 800字~1200字の論述問題に比べ、300字程度の論述問題が難しい部分はまさにここにある。十分な論証ができず、短略的な論証・解決策or結論提案に繋がることが往々にしてある。そのため300字~400字程度の問題については、この「なぜなぜ分析」「どうするどうする分析」の部分に100字~200字程度を割き、他の構成要素はすべて合わせても多くて200字程度にすることがこうした問題を解くコツである。
 こうした問題の解き方を見て行った上で、次は課題文の解説に移る。

❐ 課題文の解説(できるだけ、一段落一行要約にしたつもりです)

=課題文筆者の背景事情=
・ 異邦人……カミュの小説のタイトル
・ 世界と人間は不条理に満ちているが、それでも人は妥協しながらなんとか生きて行く。
・ もし妥協もごまかしもなく生きたらどうなるか。ウソをつかずにいきたらどうなるか。
・ カミュが「異邦人」を通じて伝えたかったのは、ウソをつかないとこの世界では「異邦人」(=社会通念に反するような矛盾に満ちた人間)としてあつかわれるということ。
・ 課題文著者が強烈な印象を受けたのは、人間が嘘や取り繕いのない自分の真実を貫こうとすると、たちまちにして社会的には悪役に祭り上げられて疎外されてしまうという個といしての人間存在の危うさ。
・ たとえ今同じグループの中に自分がいたとしても、いつ「異邦人」と見なされ、疎外されるか分からない。


=別の議論の紹介=
☆ 鷲田清一先生の議論
・ 「臨床」……ひとが”特定のだれかとして”他のだれかと交流する場面(第一義)
(林注釈;”特定のだれかとして”という下りに注目。第二義を参照すると<ひとがある他者の前に身を置く事に酔って、その歓待される関係のなかでじぶん自身もまた変えられるような経験の場面>とあるが、まさにこのように人との交流のなかで自分が本来の自分ではなくてうそ・いつわり・とりつくろいのある自分になることを指している。)
・ 多くのすぐれた芸術家は、こうしたうそ・いつわり・とりつくろいがなかったことから、その能力が認められ受け入れられた。(もちろん受け入れた側は、うそ・いつわり・とりつくろいがある人間なので、こうした芸術が理解できるフリをしてそれを受け入れている。 例・ゴッホとかピカソとか)
・ カミュがテーマにしたような「異邦人」とは違い、このように人から認められる「異邦人」(異邦の客)もいる。
・ ではなぜ「異邦の客」となると、輝かしい才能を発揮することができるのか。
・ 人が主人として誰か他者を客として歓待し、自分の座に坐らせると、人は”他者にとっての他者”になる。
(主人の自分から見たら、お客さんは他者で、お客さんが見ている自分は他者なので、他者の他者といえる。)
・ 自分が他者の他者となることで、本来の自分を容易に突き崩して解放することができる。
・ 他者の他者となることで、自分と向き合う事ができるようになり、成長できる。


=課題文筆者の議論=
・ 物事にはプラスとマイナスの側面がある。対立しているようにみえても同じ基盤の上にある問題であるケースもある。
・ 世界には自分の真実に忠実であろうとするほど、群れのなかで独立した異邦人になり、疎外され抹殺されるという面がある。(悪い意味での「異邦人」)
・ 一方で、歴史上の芸術家は自分の真実に忠実であったという面もある。(良い意味での「異邦人」)
・ これらの例は相反するように見えるが、筆者はそうは考えない。
・ 噓偽りなくいきていれば、たしかに集団からは削がしされるが、そのような状況でもなお絶望することなく、何らかの領域において活躍できるはずだと筆者は主張する。
・ 異邦の地という特異な環境が、脳を劇的に活性化させる。
・ 困難な病気になっても異邦人さながらの心理状態を強いられる。
・ こうした生活の支えになるのが芸術であることも多い。

❐ 解答の指針

設問I
1.2.3.5.を使い記述する。4.6.は必要ない。
1. 議論の前提となっている条件や、議論上の立場が違えども共有している理想
……「異邦人」とは、真実に忠実であろうとした人のこと。
2. それぞれの意見の違い
……「異邦人」はその反社会性から疎外されることもあれば、その才能から優れた芸術家として歓待されることもある。
3. 意見の違いを生み出している価値観や視点の違い(定性的な違い=数字にできない)
……前者の異邦人は集団から疎外された場合は絶望しているが、後者の異邦人はそうした状況のなかにあっても絶望せず何らかの領域で活躍する。
4. それぞれの意見における重要な指標数量などの違い(定量的な違い=数字にできる)
5. 分かりにくい抽象的な概念を噛み砕いた説明
……「異邦人」が疎外されるか歓待されるかは、相反する特性をもっているかどうかではなく、「異邦人」が絶望するかしないかによる。
6. 具体例の無視・具体例の概念化(抽象化=一般化)

設問II
1~5のすべてを使う。
答えるべき問い;「異邦人」とはどのような存在か
(脱線することが多いのであらかじめ書いておく)

1. 議論の背景知識・背景事情の説明
……「異邦人」とは真実に忠実であろうとする人のことである。
2. 解決すべき問題の発見
……「異邦人」=真実に忠実であろうとする人とはなにか?
3. 問題の論証
……a.多くの人間は多かれ少なかれ、真実に忠実であろうと考えている。
……b.しかし、なぜ真実に忠実であれないかというと、真実で忠実であった場合の疎外に恐怖するからである。(=弱いからである。)
……c.実際、真実に忠実であった結果疎外され絶望する人は多い。(=弱いからである。)
4. 根本的な原因を潰すための解決策or結論の提案
……d.それでも絶望しない強さをもった人だけが、才能を開花させ「異邦の客」として歓待される。
……つまり、真実に忠実であるために問題なのは、真実に忠実であるか、妥協して生きるかを選ぶ事ではなく、強く生きるかどうかを選ぶ事である。
5. 解決策or結論の吟味・検討と解決策or結論の決定
……「異邦人」がその才能を認められ「異邦の客」として長く生き存えるためには、まずは絶望しない強さが必要である。このことから「異邦人」とは(少なくとも長く生き長らえる異邦人とは)絶望しない人であると定義する。

❐ 模範解答

設問I(300字~360字)

「異邦人」とは真実に忠実であろうとする人のことである。うそ・いつわり・ごまかしなどに対する妥協を許さないのが、彼らの生きる姿勢である。彼らはその反社会性から疎外されることもあれば、妥協を許さない姿勢から優れた芸術家として評価されることもある。
前者と後者で人生の明暗が分かれる理由としては、前者の異邦人は集団から疎外された場合は絶望しているが、後者の異邦人はそうした状況のなかにあっても絶望せず活躍の場所を見いだすためである。
両者はそれぞれに相反する特性をもっているわけではない。片方がもともと意図して強い反社会性をもっていて、片方に天賦の才能が与えられているわけではない。社会に絶望しないか否かだけが彼らの命運を決める。(改行無し310字、改行など含めても制限字数以内。)

設問II(320字~400字)

一般に「異邦人」とは、真実に忠実であろうとする人のことを指す。
そもそも、多くの人間は多かれ少なかれ真実に忠実であろうと考えている。しかし、多くの場合現実と妥協せざるをえないのは、そうしなかった場合に起こる社会からの疎外が怖いからである。また実際に、真実に忠実であった結果として社会から疎外され絶望する人は多い。
一方で社会から疎外されてもなお絶望せず、才能を開花させた人もいる。つまり真実に忠実であるために重要なのは、真実に忠実であるか、妥協して生きるかを選ぶ事ではなく、強く生きるかどうかを選ぶ事である。
「異邦人」がその才能を認められ「異邦の客」として長く生き存えるためには、まずは絶望しない強さが必要である。このことから「異邦人」とは(少なくとも長く生き長らえる「異邦人」とは)絶望しない人であると定義する。(改行無し359字、改行など含めても制限字数以内。)

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