長文短文化ドリル 解説

長文短文化ドリル 解説

・ 長文短文化ドリル

 以下の文章を短文にしなさい。主語と対象語を一文に1つずつしか使わず、適切な接続詞を補った上で、必要のない修飾語句や具体例を適宜消しなさい。

1.雨が大地を暗く染め、風景を陰鬱に見せていた。

2.私の宝物が何の意味も持たなくなる時、既に私の新しい愛は始まっている。

3.僕は、人々はみんな幸せそうに見えた。よって、僕はいつになく淋しい想いをした。

4.人を愛するというのは素敵なことだし、その愛情が誠実なものであるなら誰も迷宮に放り込まれたりはしません。

5.僕はとても辛くて淋しい四月と五月を送った、と僕は緑への手紙に書いた。なぜなら、緑と話ができなかったためである。また、私は「これほど辛くて淋しい春を体験したのははじめてのことだ」と書いた

6. 我々は、以下の3つの原則を信じる。第一に、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。第二に、政治道徳の法則は普遍的なものである。第三に、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である。

7.善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われる。だが、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。

8.その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、生活の惰性を好む者などにとっては、荷やっかいな代物だといえましょう。

9.しかし自分は自由であると信じている人間はかえって、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりすることを怠りがちになる。ゆえに、実は自分自身のなかに巣食う偏見からもっとも自由でないことがまれではないのです。

10.身分社会を打破し、あらゆるドグマを実験のふるいにかけ、政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威がある。これにたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスがうまれた。これは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです。

11.アメリカ映画などで、勤務時間が終わった瞬間に社長と社員あるいはタイピストとの命令服従関係がふつうの市民関係に一変する光景がしばしば見られる。これも「『する』こと」に基づく上下関係からすれば当然の事理にすぎないのです。

12.やっかいなのは、「『する』こと」の価値に基づく不断の検証がもっとも必要なところでは、それが著しく欠けている。にもかかわらず、他方さほど切実な必要のない面、あるいは世界的に「する」価値のとめどない侵入が反省されようとしているような部面では、かえって効用と能率原理がおどろくべき速度と規模で進展しているという点なのです。

13.教養においては――ここで教養とシーグフリードがいっているのは、いわゆる物知りという意味の教養ではない。むしろ、内面的な精神生活のことをいう。つまり、しかるべき手段、しかるべき方法を用いて果たすべき機能が問題なのではない。むしろ、自分について知ること、自分と社会との関係や自然との関係について、自覚をもつこと、これが問題なのだ。

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