議論の整理
服部隆教授は、近代における国語および国語学の成立史を専門としている。研究では、近代日本語が社会インフラとして整えられていく過程、国語という概念、標準語、文法、教育制度、辞書、学問としての国語学の形成が重要な対象となる。
共通の前提は、私たちが当然のように使う日本語は自然に統一されたものではなく、近代国家、学校教育、印刷メディア、学問制度の中で整備されてきたという点である。論点は、国語を固定した母語として見るのか、歴史的に作られた制度として見るのかにある。
問題発見
私が研究したい問題は、近代日本で標準的な日本語が形成される過程で、地域語や多様な表現がどのように位置づけられたかである。標準語は教育や行政に不可欠だが、同時に方言や少数者の言語経験を周縁化する可能性がある。
現代でも、学校や就職の場では「正しい日本語」が求められる。しかし、その正しさがいつ、誰によって定められたのかを問うことは、言語と権力の関係を考えるうえで重要である。
論証
近代国家では、全国的な教育、徴兵、行政、新聞が発展し、共通の言語規範が必要になった。国語学は、その規範を記述し、整える学問として成立した。
一方で、言語規範は中立ではない。どの発音や文体を標準とするかは、地域、階層、性別、教育機会と関わる。国語学成立史を調べることで、日本語の正しさが社会的に作られた過程を明らかにできる。
解決策or結論or結果
私は上智大学文学部国文学科で、服部教授の近代国語学史に学び、明治期から昭和初期にかけての標準語形成と国語教育を研究したい。具体的には、文法書、国語教科書、辞書、言語政策文書を読み、正しい日本語がどのように定義され、広められたのかを分析したい。
将来は、国語教育や日本語教育の分野で、言語の規範を教えるだけでなく、多様な言語経験を尊重できる教育に関わりたい。そのために、国語学、日本語史、文法論、教育史を学びたい。
解決策or結論or結果の吟味
国語の成立を制度として批判的に見ることは、共通語の必要性を否定することではない。社会生活には相互理解のための言語規範が必要である。
しかし、規範が歴史的に作られたことを知れば、方言や若者言葉を単純に誤りと断じる態度を見直せる。私は、服部教授の下で、近代日本語の成立を社会史として研究し、言語教育のあり方を考えたい。
さらに、国語学者の議論だけでなく、教科書や新聞に現れた実際の言語規範を調べることで、学問と社会が相互に影響し合った過程を具体的に明らかにしたい。



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