- 議論の整理・・・
エスノメソドロジーという言葉は社会における人々の普通の方法論を探求するという点において、社会学とは切り離すことのできない分野である。つまりは、ある特定の個人、あるいは集団を一般化し、彼らの取りうる方法について、どの様なものであるかを断定することを目指している。
- 問題発見・・・
では、一般論としての人々について社会学からどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、社会学的方法論に対する知識を前提とし、それらが、どの様に一般化されるかを整理することが重要であると考える。たとえば、社会学の専門家である周藤真也教授は、成立するエスノメソドロジーが「人びとの社会学」であるとしたら、エスノメソドロジーは、この「わたし」をその対象に投棄し、「人びと」へと投棄することによって成り立っていることを示すのではないのか。「他者の差異」と「他者の経験」は成立するエスノメソドロジーにおいて(社会)へと積分されている。と同時に「他者の差異」という方法は、エスノメソドロジーの方法の基盤にすり入れられていく。しかし、われわれが確認してきたのは、エスノメソドロジーはその成立の過程において、むしろ徹底した 「〈私〉の社会学」の要素もっていたことだ。エスノメソドロジーのいう「人びとの社会学の『人びと』」とはエスノメソドロジーの成立過程においては〈私〉のことであった。と発表している。[1]
- 結論・・・
そこで、一般論としての人々における方法論について、人々と自分との関わりを専門的に研究するため、社会学について専門的知識に富む貴学社会科学部の周藤真也教授の下で、上述の問題点を整理するべく社会学的方法論について研究を深めたいと考えている。
貴学社会科学部の周藤真也研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学社会科学部に入学し周藤真也研究会に入会することを強く希望する。
[1]周藤真也著『《投稿論文》エスノメソドロジーと人びとの社会学』(筑波社会学会1999-09)
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