- 議論の整理・・・
言語を学ぶ際、その文法的正確さ、発音の正しさと同様に、その語が持つ意味を学ぶことは言語学習の基本である。しかし、その文法的正確さは文法書によって規定されるものではなく、その発音の正しさが、単語帳によって規定されるものではないのと同様に、その語の持つ意味について、辞書によって規定されるものではない。
そもそも辞書は、その語が持つ意味の定義付けを担うものではなく、辞書によって担保されるのは、その語がどの様な文脈で扱われるのかという、文脈においてのその語の存在の担保である。その際、言語が持つおおよその意味を分析し、辞書の作成者によって語釈が載せられるが、その語釈は辞書の作成者の解釈を孕み、その語の中心的な意味を解説したものでは決してない。さらに言えば、辞書によってはその語の誤用を指摘する際に、その語が何故誤用であるか、誤用とはいかなるものなのかの提示を行わずに、誤用であると断じ、切り捨てるものまである。言語の意味に対して正確な理解を身に付けるためには、個別の言語に対する中心的な意味を把握することが肝要である。
- 問題発見・・・
では、言語の中心的な意味についてどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、意味論に対する知識を前提とし、個別具体的な語に対し、一つ一つ向き合っていくしかないと考える。
たとえば、言語学の専門家である室井禎之教授は、「あがる」と「のぼる」の差異について、様々な用例から分析している。
[1]
- 結論・・・
そこで、意味論において、個別具体的な語の解釈を専門的に研究するため、言語学について専門的知識に富む貴学政治経済学部の室井禎之教授の下で、上述の問題点を整理するべく語の中心的な意味について研究を深めたいと考えている。
貴学政治経済学部の室井禎之研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学政治経済学部に入学し室井禎之研究会に入会することを強く希望する。
[1]室井禎之著『 「あがる」と「のぼる」-意味の構成原理に関する例示的試論-』(早稲田大学大学院文学研究科2003)
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