- 議論の整理・・・
「琉球科律」は、1786年に第二尚氏王統琉球王国で初めて制定された成文法の刑法典であり、18巻103条から構成されている。清の大清律をもととして、日本の刑法や琉球の慣習法を組み入れることで完成した。
琉球王国における中心的な裁判役所は首里に置かれた「平等所」であり、その上意機関として各部署の長官・次官15人からなる「評定所」があった。平等所の判事である「大屋子」によって作成された判決案は、平等所長官の「平等の側」並びに「平等方吟味役」に提出され、最上層部である「摂政」「三司官」を経て国王の差異化を受けた。その後、民事訴訟は、「大与座」に移管された。
- 問題発見・・・
では、そうした琉球王国における法制度にはどのような特徴があり、刑法典の整備により、慣例と先例が中心であった裁判はどのような歴史的変化を遂げたのだろうか。
- 論証・・・
私は、これらの問いに答えるには、琉球王国の歴史に関する正確かつ緻密な理解を前提として、様々な史料・資料を参照することが重要だと考える。例えば、日本法制史を専門に研究する和仁かや教授は、琉球の法制史研究では、基本史料は知られているものの、これらに対する具体的な研究はいまだ極めて限られているとしたうえで、琉球最初の刑法典「琉球科律」に着目し、その構造と特徴の検討を試みるとともに、先行研究により近世琉球の裁判機構を概観・整理する研究を行っている[1]。
- 結論・・・
そこで、金田平一郎と九州帝国大学、宮崎道三郎と伴信友の「カササギ」、近世琉球における歴史・規範・国家、追放刑にみる公儀御仕置の変質と国制などを専門的に研究し、日本法制史の専門家として名高い貴学法学部の和仁かや教授に師事し、上述の問題点を整理するべく日本における法制度の歴史的発展について研究を深めたいと考えている。
貴学法学部の和仁かや研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学法学部に入学し和仁かや研究会に入会することを強く希望する。
[1] 和仁かや「『琉球科律』—近世琉球の成文法典」神戸学院法学40巻1号(2010年)53-94頁。
コメントを残す