■議論の整理
「日本語の乱れ」が問題視されている。ら抜き言葉や接客時の「〜になります」という表現などは、誤用であるにもかかわらず一般的に使用されるようになってしまっている。他にも、「ヤバイ」に代表される若者言葉は従来の日本語には無かった言葉である。
■問題発見
しかし、このような日本語の「乱れ」は本当に「乱れ」として正さなくてはいけないものなのだろうか。毎年新語が生まれるように、日本語は常に新しくなっている。過去の日本語を「正しい」と仮定し、新しい言葉の使い方を「乱れ」と言って良いのだろうか。
■論証
源氏物語と今の時代に書かれた物語とでは言葉は大きく異なる。昭和に書かれたものと現代のものを比べても、50年程度しか変わらないにも関わらず言葉遣いに違和感を感じることがある。例えば、明治時代の夏目漱石や昭和時代の坂口安吾作品など長らくよく使われていた「〜だぜ」や「〜わよ」という口調は、生活の中でほぼ出会うことがない。文学の中でも、最近の作品にはほとんど出てこないのではないか。では、このことを「乱れ」というだろうか。そもそも「〜だぜ」のような言い方は、当時からお上品なものとは扱われていないように思える。言葉は時代によって変わる。その変化のすべてを悪いものだと捉えて良いのだろうか。古典文法に立ち返っても、音便の変化など口にしやすいような変化が存在する。これは進化とも捉えられるのではないだろうか。
■結論
「正しい」日本語とはどのようなものかを考えていきたい。そのためにも、まずは古典作品から日本語の変遷を紐解いていかなくてはいけないと考えている。文法や単語の使い方など、様々な視点で日本語の変化を見ることで現代日本語の変化のあり方とかつての変化のありかたとを比較していきたい。
■結論の吟味
以上の研究を遂行するため、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学し、仁科明教授の下で学びたい。
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