議論の整理・・・
イギリスの小説家、デーヴィッド・ハーバート・ローレンスは第一次世界大戦以降に日本でも注目されるようになり、その大胆な性描写から彼の作品『チャタレー夫人の恋人』は日本においてわいせつ物頒布罪に問われたこともあった。その際に本書を訳したのが伊藤整である。他にも数多くの人が翻訳しており、例えば武藤浩史による訳は原文のスピード感を重視して方言なども取り入れたテンポの良さが特徴だ。ローレンスは小説を短期間で書き上げることが多く、その文体は荒々しく、平易な言葉で書かれている。対して伊藤整の訳は恋愛の機微を意識させる、ゆったりした文章として翻訳されている。
問題発見・・・
翻訳によって文章の性質が大きく変わってしまうのであれば、本国の人が同作を読むのと同じ体験をしているとは言えないのではないだろうか。
論証・・・
翻訳作品を読む時に異なるのは文体だけではない。読者の文化背景や、時代的な背景も原著の作者が想定している読者層とは異なっている可能性が高い。文化的背景や時代背景について逐一注釈をつけることもできるが、それでは小説を読むリズム感は損なわれてしまうだろう。作品を翻訳する際にどのような要素を取捨選択するのか、どのような工夫を凝らすかといった実例を、一つの作品について複数の翻訳本を比較することで研究したい。また、日本人作家による小説の英訳を読み比べることも原作と翻訳本の差異を調べるのに有効であると考えられる。それによってより効果的な翻訳の方法論を探っていくことが、研究の目的だ。
結論・・・
貴学文化構想学部にてに、英文学に精通した小田島 恒志教授のもとで上述の研究を進めることを希望する。
小田島 恒志「劇作家D.H.ロレンス」『英文学』第83,1-13、2002年03月
コメントを残す