■議論の整理
インド仏教が派生した中央アジアの仏教は、民間信仰とむすびつき、変形しながらも廃仏毀釈を免れた興味深い仏典だ。そもそもインド仏教の原典を文献学のようにたどっていくことは難しい作業であるものの、中央アジアの仏教をそのような材料として考察することは、今後の仏教研究には欠かすことができないものだと考えている。
■問題発見
インド仏教は、イスラム圏の廃仏毀釈に会い、その原典は失われている。紀元前3~4世紀に誕生したといわれる仏教の原典は、どこにいったのか。アジアは広大だ。シルクロードを流れて、ネパールやチベットなどの民間信仰として生き残っている。いわゆる密教化を遂げたその聖典には、なにか原典の痕跡が残っているかもしれない。
■論証
日本の民俗学者柳田国男は、民間説話を研究することで、中央から派生していく地方の説話の中に、日本の創世神話を読み取ろうとした※1。いわゆる民俗学的な手法は、精緻なフィールドワークと聞き取りが大切だ。これは日本の例だが、これがことアジアになると、大きな範囲で、様々な政治的勢力図の中で逃れつくさきの文脈に置きなおされながら、移動を繰り返し、伝播していく。その同定作業はきわめて困難だが、やりがいのあるものだろう。
■結論
一つの研究手法として、イコノグラフィー(図像学)がある。聖典には、文章だけではなく、さまざまなイメージがあふれている。それは火で焼かれるイメージかもしれないし、コスミックツリーのイメージだったりする。中央アジアの石窟には民間信仰の解脱の壁画が描かれている※2。そのイメージの得意な部分を抽出し、様々な仏典と比較検討して、密教化された民間信仰の中に、新たな原典の可能性をみていくことは可能だ。
■結論の吟味
インド仏教の原典を、民間信仰の中に見つけること。これが同定作業の唯一の道だと考えている。宗教が悪い意味で注目されて久しいが、人間の営為の中に重要な位置を占める宗教をもう一度考え直すためにも、原典研究に人生をささげてみたい。このような学問を勉強すべく、貴学の入学を強く希望する。
※1柳田国男『遠野物語』集英社文庫 1991
※2山部能宜「中央アジアにおける禅観の実践について」『駒沢大学仏教学部論集』42 2011
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