- 議論の整理
科学技術や経済の発展の代償としての環境破壊問題は、全人類が力を合わせて取り組んでいかねばならない問題である。しかしながら、今まで行われた国際会議において採択された開発目標や行動指針は数多く存在するものの、それらが実際に効果をあげた場合はほとんどなく、環境問題は悪化の一途を辿っている。このような現状において、キリスト教的ヒューマニズムは人間性や生き方の根本的な刷新から始めなければならないと説く。
- 問題発見
ではどのような生き方が環境問題へのアプローチとして正しいのだろうか。教皇フランシスコが出した社会回勅である『ラウダート・シ』ではその手がかりが、「インテグラルなエコロジー」という言葉でまとめられている。そこでは従来の環境問題が目指す、人と人、人と自然との関係性の再構築という軸の他に、神との関係性の再構築という視点が加えられている。それでは、神との関係性を再構築することがどのようにして環境問題の改善につながるのだろうか。
- 論証
吉川は、神との和解とは自らも被造物である人間が他の被造物と被造界を守っていく義務を全うすることだと解釈している。これまでの聖書理解でしばしば誤解されるのが、人間が特別な被造物であるということが他の被造物への一方的な支配構造を正当化するという点である。吉川はベネディクト16世の言葉を援用しこの意見を棄却する。その上で、人間は他の被造物を責任を持って管理する義務を与えられていると論じている。そこで本研究では聖書に立ち返って、人間と自然とのかかわりについて考察していきたいと考えている。
- 結論
環境問題は私たちだけの問題ではない。むしろそれは後世に生きる世代に大きな重荷としてのしかかってくる。本研究を通じて、他者に対する責任を自覚できるような人間性の涵養に努めたい。
- 結論の吟味
上記研究を行うにあたって、これまで貴学においてキリスト教的ヒューマニズムに基づいて様々な社会問題について論じてきた光延教授のもとで学ぶことを希望する。
参考文献
吉川まみ (2017) 「持続可能性に向けた関係性の再構築と”総合的なエコロジー”」『持続可能な発展は可能か 回勅『ラウダート・シ』を複眼的に読む』
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