■設問
下記の指定図書を読み、1つの章を選んで、その章末にある「本章の理解を深めるための課題」の中から一つを選んで取組み、その成果を述べなさい。
〈指定図書〉
田中治彦、杉村美紀共編『多文化共生社会におけるESD・市民教育』上智大学出版
■答案構成
議論の整理→相関する民主主義の持続可能性と投票年齢
問題発見→選挙年齢の引き下げにより起こる危険性は何か
論証→オーストリアの事例と日本でも見られる右傾化現象
解決策or結論→賛成派と反対派の意見からみる18歳選挙権の可能性
解決策or結論の吟味→民主主義の持続可能性からみる18歳選挙権の可能性
■答案
議論の整理→相関する民主主義の持続可能性と投票年齢
本論では課題図書の第11章にある民主主義の持続可能性と市民性教育について取り扱っていく。更には章末の課題にある日本における投票年齢の引き下げをめぐる議論について、賛成意見と反対意見に触れながら自身の考えを最終的に述べていきたい。まず議題となる民主主義と国民投票だが両者は非常に密接な相関関係にあるといえる。なぜなら民主主義とは、国家の在り方をその構成員である国民が決めるとする考え方である。故にその在り方を左右する政治体制を国民による投票で決定するという手法は民主主義の根幹を支えている思想に基づいており、国民投票あってこその民主主義といえよう。
問題発見→選挙年齢の引き下げにより起こる危険性は何か
ではその投票年齢の引き下げは一体何を意味するのだろうか。そもそも初めに提起されている民主主義の持続可能性とは現在世界的に議論されている課題である。移民問題を始めとして多文化共生社会が加速する現代において、民主的社会秩序の維持は困難になりつつある。
論証→オーストリアの事例と日本でも見られる右傾化現象
例えば本章でも述べられたオーストリアのケースなどが分かりやすい例だろう。2007年に世界に先立って選挙年齢を16歳以上に引き下げたオーストリアでは、翌年2008年の国民議会選挙の結果において16歳から18歳の回答が非常に注目された。しかし蓋を開けてみれば無回答率は2割を超えており、政治教育の未熟さが露呈した結果となった。この事実は投票年齢の引き下げにおいて起こり得る教育課程や教員養成の難しさを反映しているといえる。投票年齢を引き下げるのであれば、当然一番の教育の基礎の場となる学校教育において政治教育の積極的な導入を検討しなければならない。オーストリアでは1968年には既に選挙年齢は19歳へと引き下げられていたが、その影響により後に早くも教育省に政治教育課が設置されている。更には1992年での18歳への引き下げの決定に合わせて後期中等教育の最終学年において政治教育が導入されており、続く16歳への引き下げを達成した翌年の2008年からは前期中等教育でも早速政治教育が行われている。このように選挙年齢の引き下げに応じた早急な教育改革が為されることこそが理想ではあるが、その改革に至るまでの道筋は大変な労力を要する。なぜなら教育改革の実施に向けてこれまでに確立されてきた教育プログラムの再構築や政治教育を行う人材育成も必要となってくるため、政治教育そのものの土台作りが前提となる。実際オーストリアではその人材も教材も乏しかったために政治教育大国であったドイツの協力を積極的に仰いできた。ウィーン大学での政治教育講座の新設にも関わらず、そこ頻繁に招待されたのはドイツの政治教育学者らであったことなどが分かりやすい例であろう。またオーストリアの2008年の国民議会選挙において想定外の結果となったのが、自由政党から分裂した右翼政党である未来同盟への支持の高さであった。この若者に広がる右傾化の兆候はオーストリアのみならず日本でも近年問題視されている社会的課題の一つである。例として日本では近年急速に加速したヘイトスピーチの増加を受けて、2016年にヘイトスピーチ解消法と呼ばれる「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」が施行された。この背景には在日韓国・朝鮮人への激化していくレイシズムが存在する。日本におけるヘイトスピーチやレイシズムの流れを見ていくと、なぜ若者を中心に右傾化が進行していくのかその理由が幾つかに分けて考えることができる。第一に急速に発展していったインターネット文化の普及が挙げられる。匿名で発言することができるインターネットの特性はしばしば絶好の思想主張の場となって扇動的な発言が多く見受けられる。その発言を目にすることによってまだ確固とした思想を持たない若者が、知らぬ間に右傾化していくという可能性は十分に考えられよう。また第二に日本経済の不況が更に右傾化を促進させていることも考えられる。そもそも世界的に見ても国民の右傾化と国家の不況は比例する関係にあり、移民問題やヘイトスピーチに代表されるレイシズムなども不況が導く責任転嫁の結果の一つとして言い換えることも可能である。なぜならば国民が不況を感じるタイミングは、ほとんどが自身の経済状況の困窮が始まりである。するとその理由を他に求めることに繫がり、結果として自身が支払っている税金の用途などに目が向けられる。先述した例で示すならば、そこで急激に加速していったのが在日特権へ向けられたヘイトスピーチなどであるだろう。ここでインターネット文化の普及が再度情報収集の容易さを向上させ、現状に不満を抱く若者をますます右傾化させる契機にも一役買っている。ではこの事実は選挙年齢の引き下げにどのように関わってくるのだろうか。まず日本における選挙年齢の動きに着目していきたい。日本では1890年に行われた最初の選挙で25歳以上の高額な税金を納める男性のみに選挙権が与えられていた。しかしその制限選挙の不平等性を唱えて、納税額に関わらず選挙権を持つ普通選挙を要求する運動が巻き起こり、1925年には25歳以上の全ての男性が選挙権を獲得するに至る。けれどもこの時点ではまだ女性の選挙権は一切認められておらず、女性参政権を求める運動がここから新たに始動していく。そして1945年の改正選挙法によってようやく満20歳以上の男女すべてに平等な選挙権が与えられ現在に続く基盤が形成されたのである。そこから長い年月を要しようやく2016年に18歳選挙権が施行されたのだから、この選挙年齢の引き下げの実施が世界的に見て非常に遅いことが窺えよう。先進国であることを踏まえると未だに引き下げられていなかったこと自体が異例の状況であったのだ。
世界における民主主義と比較して、日本はしばしばシルバー民主主義と揶揄される。すなわち少子高齢化が顕著な日本においては有権者を占める高齢者の比率が増加する一方で、高齢者層の政治への影響力が過多となってしまっているのだ。事実として今回18歳選挙権が施行された背景にはこのシルバー民主主義への危険視が考えられる。今後の経済や国家の存続を担うはずの政治の決定権を若者よりも高齢者が多く握っていることは由々しき事態である。少子高齢化というバランスの崩壊が政治にまで及んできてしてしまっているのだ。このようにして民主主義の基本理念である一人一票の制度と多数決原理が結果的に民主主義の持続可能性を妨げているという何とも皮肉な現状が、今の日本の姿といえよう。
解決策or結論→賛成派と反対派の意見から見える18歳選挙権の可能性
では次に2015年の公布から2016年の施行までに巻き起こった18歳選挙権に関する議論を、賛成派と反対派に分けて整理していきたい。まず賛成派の意見では、やはりシルバー民主主義の危険性を踏まえた上で若者の意見を反映させる必要性を説く意見が多い。少子高齢化社会において絶対数の少ない若者に参政権の幅を広げていくことが有権者の幅を広げる唯一の手段でもあると説く者もいる。更には他の権利と比較した上で賛成の声を上げる意見も多く見受けられた。例えば18歳という年齢は労働基準法において深夜労働が認められていたり、道路交通法では普通自動車免許の取得も可能となっている。更には親の同意が必要ではあるものの民法では婚姻をすることも可能となる年齢だ。このように成人と同様の様々な権利が発生していく年齢であるにも関わらず参政権だけ与えられないことに疑念を抱く声が上がるのはもっともなことであろう。しかしこれは反対意見においても同様の論拠となってくる視点であり反対勢の意見の主張をも可能にしてしまっている。反対意見においてまず何よりも多く見受けられるのは成年者として認められているのが20歳であるという意見だ。日本では20歳に達してようやく様々な権利が認められ大人の仲間入りを果たすと考えられている。その顕著な例が少年法である。少年の非行や事件に対して健全な育成を目指すとする少年法では、満20歳に満たないものを少年として扱っている。この成人と少年の区分を20歳とする現状にあって選挙権だけを与える理由が不明瞭だという声が上がるのも同様に納得できる意見であろう。
解決策or結論の吟味→民主主義の持続可能性からみる18歳選挙権の可能性
私はこの投票年齢の引き下げを本章の議題であった民主主義の持続可能性という観点から切り込んでいきたい。そもそも民主主義の持続可能性を高めていけるのは賛成と反対のどちらであろうか。それは無論引き下げへの賛成である。現在日本における民主主義は少子高齢化による特殊な人口様相や若者の政治への無関心など多くの要因が一つに収束し、シルバー民主主義へと変容を遂げてしまっている。この変容は本来の民主主義を脅かすものであることは先述した通りだが、持続可能性への課題は実は若者の政治意識に存在している。まず国民が国家の支配者となる民主主義においては国民の一人一人の権利は平等な比重でなくてはならない。この比重を決めるものこそ各年代の総人口数となってくる。ゆえに人口ピラミッドでピラミッド型ではなく釣り鐘型の形状となる日本では高齢者の圧倒的な数値と若者の絶対数の少なさが問題となっている。しかしここで着目すべきは数値の大きい所ではなく数値の足りない所であると私は考えたい。なぜならば民主主義の持続可能性とは基本理念の対等かつ平等な権利にこそ見出されると考えるためである。ではこの対等かつ平等な権利とは具体的に何であろうか。それはこれまでに日本が史実として歩んできた参政権の獲得に至るまでの歴史にある。性別でも貴賤でも年齢でも区別がされないこと、それが最終的に獲得された現在に受け継がれる参政権の形である。そうであるならばなぜ18歳から20歳の若者はそこから排除されているのか。それは成人と少年の区別をおざなりにしてきたことに起因しているだろう。現在の日本においてその年代は、ある場面では成人である場面では少年であるという何とも都合の良い解釈が為されている。ゆえに参政権を与えるに至るのであれば、その線引きをその他の権利と共に修正していく必要がある。そうして全世代での共通認識を作り出すことが選挙権論争への解決をもたらす第一歩となるだろう。
(計4096字)
[取り組んだ課題箇所]
第11章 民主主義の持続可能性と市民性教育
③日本における投票年齢の引き下げをめぐる議論について、賛成する意見と反対する意見を調べ、自分の考えをまとめよう。
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