議論の整理(要約)
一般的に、勤勉であることは、真面目に働き、時間を守り、ものごとを正確に進める姿を想像させる。とりわけ日本で言えば、高度経済成長期の男性サラリーマンが、勤勉さの象徴である。ただし、商売人や女性に対して、勤勉というイメージを付与することは少ない。
問題発見
この定義を踏まえると、私自身は勤勉な人間なのだろうか。
論証
私にとって勤勉さとは、国民性ではなく社会と密接に結びついていると考える。高度経済成長期の日本企業は、真面目に働けば一定以上の給与が得られ、生涯にわたる雇用が保障される。この枠のなかで働くことが勤勉さに他ならない。
現在の日本は、終身雇用は崩壊し、働き方さらには生き方も多様化している。評価の方法も、学力に限定せず、多様化している。大学を卒業してすぐに就職することがベストとは限らない。世界でさまざまな経験を積み、20代にて起業して成功する者もいる。勤勉であるよりも、さまざまなことにチャレンジする、勉強や仕事以外のことに心を向ける、のんびりしたり遊んだりするほうが、人生に活きることが多いと考える。
結論
このような背景を踏まえると、社会の状況から、私が勤勉であることは難しい。
吟味
ただ、現在の日本で、生きやすさ、働きやすさを感じるために、勤勉であれる場を作ることも必要なのではないだろうか。
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