議論の整理……
現代社会における教養の意義は、他人ともコミュニケーションツールになる点であると私は考える。筆者が述べているように、現代社会はあらゆる科学・技術のスケールが大きくなる一方、そこに関わるものが細分化されている。
問題発見……
そのため、かつても発見史のように、この発明品はこの人がつくった、この技術はこの会社・大学が開発したと、説明することができない。
論証……
科学・技術のイノベーションを実現するのは、個人ではなく集合的な知識。この集合体を構成するのは、さまざまな立場の人間である。構成員は生きた人間であるため、集合体をよりよき方向に持っていくために、あらゆるところにアンテナをはり、コミュニケーションをとる必要性がある。
筆者が指摘しているように、専門家は異なる専門分野になると状況がまったく分からない。専門家は分野が異なればひとりのアマチュアに過ぎないからである。とはいえ、全く関与しないでいると、集合的な知識は崩壊してしまう。
結論……
私は、このとき共通の文化となるのが教養であると考える。教養は、暗記する知識ではなく、ものごとに対する探究心である。
吟味……
どのようなことを探求しているのか、そこでどのような課題に直面するのか、解決する方法はあるのか。昔の哲学者の問答のように、「問い」と「答え」を積み重ねていけば、専門性の違いを乗り越えられる。「問い」に対する「答え」を追求する教養を持つことで、現代の諸問題を多くの専門家と共に解決できるのではないか、これが私の考えである。(617文字)
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