■ 設問
以下の文章は,教皇フランシスコ「いつくしみの特別聖年公布の大勅書『イエス・キリスト,父のいつくしみのみ顔』」(2015年4月11日)の一部です。よく読んで,問いに答えなさい。
(略)
問い①「聖書では,いつくしみは,わたしたちへと向けられた神の行為を指すキーワードです」と言われます。第一段落で言われている内容として,どのような聖書箇所が思い浮かぶか,例を2ヶ所あげて,どこからどのように「いつくしみ」が生じるのかを説明しなさい。
問い②「教会の生命を支える柱は,いつくしみです」と言われるが,第一段落で言われる「いつくしみ」そして「ゆるし」は,現代世界のさまざまな問題の中で,どのように具体化されるべきでしょうか? 例を2つあげて,説明しなさい。
(注:いずれも字数制限なし)
■ 問い①
■ 答案構成
議論の整理→ 聖書の中の「いつくしみ」とは
問題発見→ 「いつくしみ」はどのように生じるか
論証→ 聖書の教え
解決策or結論→ 神の責務と愛
解決策or結論の吟味→ 人々に求められるもの
■ 答案
議論の整理→ 聖書の中の「いつくしみ」とは
聖書の中で「いつくしみ」とは,私たちへ向けられた神の行為を指すキーワードてして語られている。それは神の愛として,抽象的ではなく,意図であり,姿勢であり,行動として見える形で示される。そうして神は私たちが喜びと平和に満たされ,幸せでいることを望んでいるのである。
問題発見→ 「いつくしみ」はどのように生じるか
では,聖書の中では「いつくしみ」が,どのように生じるとされているのか。
論証→ 聖書の教え
ここでまず思い浮かぶのは,「ヨハネ書」3章16節の 「神は,その独り子をお与えになったほどに,世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで,永遠の命を得るためである。」だ。神が独り子であるイエスをこの世に遣わされたのは,神の深いいつくしみという愛を示すためであり,人々に神のいつくしみへの信頼を深めるためであった。そしてイエスの十字架の死は,神のいつくしみが示した最高の表現であった。
そしてもう一つは,「ホセア書」10章12節の「あなたがたは自分のために正義をまき,いつくしみの実を刈り取り,あなたがたの新田を耕せ。今は主を求むべき時である」だ。たとえ自分が不利益を被るとしても,批判されたとしても,自分を捨て神の教えのままに自分の正義をまき,いつくしみの実を刈り取る。そうすることで,神を知り,感じることができると教えている。
解決策or結論→ 神の責務と愛
このように,聖書の中には,神の「いつくしみ」について触れている箇所が多くある。それは,神の責務であり,愛そのものなのである。
解決策or結論の吟味→ 人々に求められるもの
そして,キリスト教徒は神が示される「いつくしみ」と同じ波長で,互いにいつくしみ深いものになることを求められている。
聖書の中で「いつくしみ」とは,私たちへ向けられた神の行為を指すキーワードてして語られている。それは神の愛として,抽象的ではなく,意図であり,姿勢であり,行動として見える形で示される。そうして神は私たちが喜びと平和に満たされ,幸せでいることを望んでいるのである。
では,聖書の中では「いつくしみ」が,どのように生じるとされているのか。
ここでまず思い浮かぶのは,「ヨハネ書」3章16節の 「神は,その独り子をお与えになったほどに,世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで,永遠の命を得るためである。」だ。神が独り子であるイエスをこの世に遣わされたのは,神の深いいつくしみという愛を示すためであり,人々に神のいつくしみへの信頼を深めるためであった。そしてイエスの十字架の死は,神のいつくしみが示した最高の表現であった。
そしてもう一つは,「ホセア書」10章12節の「あなたがたは自分のために正義をまき,いつくしみの実を刈り取り,あなたがたの新田を耕せ。今は主を求むべき時である」だ。たとえ自分が不利益を被るとしても,批判されたとしても,自分を捨て神の教えのままに自分の正義をまき,いつくしみの実を刈り取る。そうすることで,神を知り,感じることができると教えている。
このように,聖書の中には,神の「いつくしみ」について触れている箇所が多くある。それは,神の責務であり,愛そのものなのである。
そして,キリスト教徒は神が示される「いつくしみ」と同じ波長で,互いにいつくしみ深いものになることを求められている。(646字)
■ 問い②
■ 答案構成
議論の整理→ 失われつつあった「ゆるし」
問題発見→ 「いつくしみ」と「ゆるし」をどう具体化するべきか
論証→ 妊娠中絶と移民問題への対応
解決策or結論→ 神が望まれること
解決策or結論の吟味→ 「ゆるし」の務め
■ 答案
議論の整理→ 失われつつあった「ゆるし」
教会の司牧行為は,すべて優しさのもとに行われるべきであり,その柱となるのが「いつくしみ」である。しかし教会は長い間,「いつくしみ」を示したいと望みながらも,正義のみを追求したいという欲求が勝ち,それによって「ゆるし」という行為が失われつつあった。そこで今一度,本質に立ち戻り,教会は「ゆるし」という喜びを告げる務めを引き受けるときが来ているのだ。
問題発見→ 「いつくしみ」と「ゆるし」をどう具体化するべきか
では,現代世界において「いつくしみ」と「ゆるし」は,どのように具体化されるべきなのか。
論証→ 妊娠中絶と移民問題への対応
それは,ローマ教皇が特別聖年の終了時におっしゃられた「中絶は罪のない命を終わらせる重大な罪である。しかし同様に,神の憐(あわ)れみが,御父と和解することを求める悔悛(かいしゅん)した魂を見いだすとき,神の憐れみが届き,取り除くことのできないような罪はない」ということやアメリカのトランプ政権が行なった「メキシコからの不法移民を全員訴追し,しかも大人と子どもを分けて隔離する」といった移民問題は,キリスト教の価値観に反するとしたお言葉に表されるように,難しい問題ではあるが対応の仕方に「いつくしみ」と「ゆるし」の精神があるべきだと考えられる。
解決策or結論→ 神が望まれること
このように,現代社会には数々の問題がある。しかし,それを正義のみを追求するのでは,間違いを犯した人間をすべて切り捨てることになる。しかし神はそう望まれてはいない。
解決策or結論の吟味→ 「ゆるし」の務め
だからこそ,教会は「ゆるし」を大切にした務めを果たさなければならない時がきている。
教会の司牧行為は,すべて優しさのもとに行われるべきであり,その柱となるのが「いつくしみ」である。しかし教会は長い間,「いつくしみ」を示したいと望みながらも,正義のみを追求したいという欲求が勝ち,それによって「ゆるし」という行為が失われつつあった。そこで今一度,本質に立ち戻り,教会は「ゆるし」という喜びを告げる務めを引き受けるときが来ているのだ。
では,現代世界において「いつくしみ」と「ゆるし」は,どのように具体化されるべきなのか。
それは,ローマ教皇が特別聖年の終了時におっしゃられた「中絶は罪のない命を終わらせる重大な罪である。しかし同様に,神の憐(あわ)れみが,御父と和解することを求める悔悛(かいしゅん)した魂を見いだすとき,神の憐れみが届き,取り除くことのできないような罪はない」ということやアメリカのトランプ政権が行なった「メキシコからの不法移民を全員訴追し,しかも大人と子どもを分けて隔離する」といった移民問題は,キリスト教の価値観に反するとしたお言葉に表されるように,難しい問題ではあるが対応の仕方に「いつくしみ」と「ゆるし」の精神があるべきだと考えられる。
このように,現代社会には数々の問題がある。しかし,それを正義のみを追求するのでは,間違いを犯した人間をすべて切り捨てることになる。しかし神はそう望まれてはいない。
だからこそ,教会は「ゆるし」を大切にした務めを果たさなければならない時がきている。(608字)
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