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問題発見①:「現在」は「ある」ものか?
この文章から読み取れる哲学的問いとしては、現在は「ある」となぜ言えるのかという問いが挙げられる。
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議論の整理:アウグスティヌスの指摘の確認
ここでアウグスティヌスは、現在が「ある」ものであるということを前提して、その現在が「ないであろう」という性質も併せ持つことから、現在という概念に含まれる矛盾を指摘している。
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論証:現在は「ある」ものだという規定を斥ける論証
しかし、現在が「ある」ものだという前提には問題がある。例えば、私たちが「今」あるいは「現在」だとして見て取っているものは実は過去であると言える。なぜならば、外界は常に幾分かのタイムラグを伴って私たちに与えられているからだ。目の前にある机の視覚情報も、厳密に言えば、一瞬前の世界のあり方を反映して、私たちに与えられているのである。この場合、アウグスティヌスの規定とは反対に、現在を「ない」ものとして規定することもできるだろう。
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問題発見②: 何が「ある」と言えるのか
だがそうなるとまた別の問題が生じる。すなわち、それは、私たちにとって何が「ある」と言えるのだろうかという問題である。
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論証:「ある」ものが一つもないことの論証
実際、アウグスティヌスが言うように、過去は「もはやない」ものであり、未来は「まだない」ものであるとしよう。さらにここで、現在も「ない」ものであるとすれば、私たちのまわりには一つとして「ある」ものはないこととなってしまう。だがそれは私たちの常識に反する。
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結論:現在とは「ある/ない」という言葉では語ることのできないものである
以上の説明から言えるのは、現在を「ある」ものと規定しても、「ない」ものと規定しても、いずれにせよ、何らかの矛盾が生じるということである。そして、矛盾があるということはその規定が誤っていることを示唆している。そうである以上、現在については、それが「ある」ものでも「ない」ものでもないと言える。つまり、現在とは、存在の有無とは別の語り方が必要な概念なのだ。
この文章から読み取れる哲学的問いとしては、現在は「ある」となぜ言えるのかという問いが挙げられる。ここでアウグスティヌスは、現在が「ある」ものであるということを前提して、その現在が「ないであろう」という性質も併せ持つことから、現在という概念に含まれる矛盾を指摘している。しかし、現在が「ある」ものだという前提には問題がある。例えば、私たちが「今」あるいは「現在」だとして見て取っているものは実は過去であると言える。なぜならば、外界は常に幾分かのタイムラグを伴って私たちに与えられているからだ。目の前にある机の視覚情報も、厳密に言えば、一瞬前の世界のあり方を反映して、私たちに与えられているのである。この場合、アウグスティヌスの規定とは反対に、現在を「ない」ものとして規定することもできるだろう。
だがそうなるとまた別の問題が生じる。すなわち、それは、私たちにとって何が「ある」と言えるのだろうかという問題である。実際、アウグスティヌスが言うように、過去は「もはやない」ものであり、未来は「まだない」ものであるとしよう。さらにここで、現在も「ない」ものであるとすれば、私たちのまわりには一つとして「ある」ものはないこととなってしまう。だがそれは私たちの常識に反する。
以上の説明から言えるのは、現在を「ある」ものと規定しても、「ない」ものと規定しても、いずれにせよ、何らかの矛盾が生じるということである。そして、矛盾があるということはその規定が誤っていることを示唆している。そうである以上、現在については、それが「ある」ものでも「ない」ものでもないと言える。つまり、現在とは、存在の有無とは別の語り方が必要な概念なのだ。(706文字)
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