慶應義塾大学 法学部政治学科 FIT入試 志望理由書 提出例(萩原 能久研究会向け)


■議論の整理論

「ガバナンス」という用語が政治学や経済学、行政学などの様々な社会科学分野で頻繁に用いられはじめたのは1980年代のことだと言われている。しかしこの語には、暖昧さが伴い、混乱をもたらすことのほうが多かった。ガバナンスという新しく導入された概念が混乱をもたらしてきたもうひとつの理由は、言語的なものにとどまらない。この語がある種の政治的状態を説明するための記述的概念なのか、社会のある特定の状態を理解するための分析的ツールなのか、はたまた政治社会のあるべき姿や到達目標を指し示した規範的概念なのかが不明確な点も問題視されている。

一方、ガバナンス理論におけるGNアプローチの登場によって民主主義論は民主的ガバナンス論に変貌を遂げつつある。しかし、ガバナンス論を民主主義論と切り離して議論するのは極めて危険なことである。例えば、伝統的な集計民主主義理論を想定する限り、そこでの民主主義原則を文字通り受けとめるなら、すべての政治的アジェンダを国民投票に付し、多数決原理を適用しなければならないことになるだろうが、それが人民のための政治となりうるか疑問が残る。他方でガバナンス論はここでいう「人民のための統治」という共和制原則に傾きすぎるきらいがある。その意味で、現在、「民主的ガバナンス論」が必要とされている(*1)。

 

■問題発見

ここで,「ガバナンス論」を発展させた「民主的ガバナンス論」に対する課題について改めて考えてみたい。

 

■論証

西欧の政治理論や行政学において「ガバナンス」概念が登場してくるのは1990年代頃からであるが、それは1980年代における「社会科学の危機」に対応したものであった。その危機とは以下のような特徴を有していた。それは、先進民主主義諸国におけるガバナビリティの危機や「失われた十年」における世界銀行の構造調整プログラムの失敗である。例えば、選挙における投票率の低下や政治不信、人々の多様な要求に政府が応えきれなくなり、市民の抗議活動が活発化したことなどが具体的事例として挙げられる。

デモクラシーをめぐる問題とは、人民による統治が必ずしも人民のための統治とならないからこそ問題として認識されるのであるし、ガバナンス論が登場してくるのも、まさにその理由からである。しかし、人民のためになっているのだから、誰が統治してもよい、選挙によって選ばれたという正統性を欠く民間人やステイク・ホルダー、NPO/ NGOの手に委ねておけばよいというものではありえない 。またその場合に、人民のためになっている、披統治者のためになっていると認定するのは誰なのかという課題が残る。この意味でもガバナンス論を民主主義論と切り離して議論するのは極めて危険なことと言わざるをえない。必要なのは、その意味でも「民主的ガバナンス論」なのである。

したがって、問題はどのようにしてこの支配形態の問題と統治形態の問題を接合するかにある。今後、「人民による人民支配」という民主主義原則を「人民のための人民支配」という共和制原則と両立させるかという課題について検討すべきである(*1)。

 

■結論

そこで,「民主的ガバナンス論」の視点から市民レベルでの活用フレームワークを検討し、民主主義原則を共和制原則と両立させる政治制度について研究したいと考えている。

 

■結論の吟味

上述の研究を遂行するため,貴学法学部政治学科に入学し,政治哲学や現代政治理論を専門に研究している萩原能久教授の研究会に入会することを強く希望する。

 

※1萩原能久(2011)「民主的ガバナンス論への道程」法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and sociology). Vol.84, No.2 (2011. 2) ,p.415- 447

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