■議論の整理論
法・正義の女神ユスティティアの図像の原型は、古代エジプト・ギリシャまで遡り、その後の長いキリスト 教文化を背景に、ラファエロはそれをバチカンの天井画に描き、チェザーレ・リーパはそれを図像の法典『イコノローギア』に加えた。最近のアメリカのロックバンドもこの図像を用いてCDジャケットを製作した。
作られた法律が存在する以前に、正義の可能的な諸関係は存在していた。実定的な法律が命じたり禁じたりすること以外には、正なるものも不正なるものも全く存在しないというのは、円を描かないうちは、すべての半径は等しくないと言うようなものである。こうしたイメージを創造する営みとは、現象の内奥にある真実の姿を視覚化する思想を背景に持つ。ゴンブリッチによれば、ギリシャに始まるプラトン的観念論に支配された西洋であったからこそ定着した思想であり、それ故に極めて徹底された象徴の体系化が可能となっていた。
一方、近代に入り我が国の裁判が公衆に聞かれたことの意義は強調してもしきれない。法廷における傍聴席の出現は、裁きの「公正さ」を第三者のまなざしという装置を介して保障するという司法の新たなる演出の仕方の導入であった。
もっともこうした司法の近代化は江藤新平の先導により拓かれたところが大きいが、彼はその実効性を見極めるには余りにも早く維新史の舞台から退場した。もとより明治政府が裁判の公開には反対しなかったのは、それが近 代化の要請であるからというよりも、むしろ公開しても国民の関心の低さに乗じて傍聴席は空席のままであることを想定したからだった。裁判の公正さ・公平さは職業裁判官の内にあるとされる限り、公衆の在不在には左右されず、常に「天皇の名に於いて」超然とした判決が下され得る。法廷における裁く者・裁かれる者の一方向的な関係性は決して脅かされてはならないのであって、法廷では国民は裁きの客体であるべきであり主体とはなり得ない。このあたりが、明治日本において当初は厳しく拒斥され続けながらも昭和3年に実施を見た陪審制度が、好余曲折を経て、同18年には結局は停止を余儀なくされた背景事情と思われる(*1)。
■問題発見
ここで,我が国の裁判制度の近代史をめぐる法的象徴における課題について改めて考えてみたい。
■論証
裁きの場を公衆に開くことのそもそもの意義は、常に傍聴人が傍聴席に押しかけて満席にするところにあるのではない。「いつでも誰でも見られる」、その状態を作り出すことにこそある。人々が傍聴者として法廷に赴く時、彼らはその匿名性において国民全体を表象している。公開の原則とは、そうした全体としての「国民」を法廷のリアリティー 内部において、裁きの客体でもなく主体でもない利害性なき匿名の実在として表象することに他ならない。だが、その「国民」とは不可視・不可触な存在ゆえに、司法の近代化の過程において我が国ではしばしば等閑に付され、シンボルの作用がそのリアリティーを再現前化してこなくてはならなかったのである。この意味で2009年に導入された裁判員制度は、「国民」を法廷における裁きの主体として改めて位置づけ直す試みであるが、それは我が国の裁判制度の近代史をめぐる如上の法的象徴の物語とその解釈に、どのような新たなる生成と再編を促す契機となるため、検討すべきである(*1)。
■結論
そこで我が国の裁判制度の近代史をめぐる法的象徴を研究することで、栽培員制度のような法定制度の役割について研究したいと考えている。
■結論の吟味
上述の研究を遂行するため,貴学法学部法律学科に入学し,日本法制史を専門に研究している岩谷十郎教授の研究会に入会することを強く希望する。
※1岩谷十郎(2009)「沈黙の法文化 : 近代日本における法のカタチ」法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and sociology). Vol.82, No.1 (2009. 1) ,p.107- 139
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